政史探訪

「横紙破り」河野太郎の政権盗り

中川佳昭・編集編成局編集委員
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衆院本会議に臨む菅義偉首相(右)と河野太郎行政改革担当相=2021年1月18日、竹内幹撮影
衆院本会議に臨む菅義偉首相(右)と河野太郎行政改革担当相=2021年1月18日、竹内幹撮影

 河野太郎氏に政界の耳目が集まっている。菅義偉首相が新型コロナウイルスのワクチン接種を仕切る担当相に指名したからだ。コロナ第3波で激増する感染者、重症者救済の切り札となるワクチン対策は政権の最重要課題。菅首相が河野氏に対して並々ならぬ期待感を持っていることをうかがわせた。

 昨年9月、7年8カ月続いた安倍晋三政権の後を受け、自民党内の圧倒的支持を受け首相に就任した菅氏だが、コロナ禍対策のまずさで、発足4カ月で内閣支持率はつるべ落としだ。衆院解散・総選挙のタイミングも失いつつある。今年9月には総裁選が控えるが、菅氏の反転攻勢は次第に難しくなっている。

 そんな中、菅首相にしてみれば、河野氏を自分の後継者とみなすことで、ポスト菅をにらんで影響力を行使できるようにしておきたいとの思惑もあるのだろう。河野氏自身も政権盗りに意欲満々だ。

一族の悲願

 河野氏は政界屈指の名門一族の出だ。父の洋平氏は副総理・外相、自民党総裁、衆院議長、祖父の一郎が農相、建設相、副総理格の東京五輪(1964年)担当相、大叔父の謙三は参院議長だ。参院議員だった謙三は除き、一郎も洋平氏も首相の座を目前で逸しているだけに、太郎氏が首相に就任すれば、河野一族の悲願がかなうことになる。

 太郎氏はハト派で親中韓だった洋平氏よりも、横紙破りでばく進型の党人政治家だった一郎のDNAを引き継いでいるようだ。

 ここで、河野一郎という政治家を振り返っておきたい。一郎は1898(明治31)年生まれ、早大を卒業後、朝日新聞社に入り、記者として活躍した。一郎は早大時代陸上長距離選手であり、箱根駅伝でも活躍したことで有名だ。

 戦後は吉田茂首相に敵対し、吉田のライバル鳩山一郎の有力な幕僚として、吉田内閣打倒にまい進、吉田からは「梟雄(きょうゆう)」として蛇かつのごとく嫌われた。一郎は吉田とは不倶戴天の敵同士だったのだ。

 1954年鳩山内閣の農相。日ソ国交正常化に尽力し、鳩山首相に同行してモスクワに乗り込んだ。岸内閣末期に自民党内の反主流派に転じ、60年の日米安保改定の国会承認時は衆院本会議を欠席している。

 岸内閣退陣後、自民党総裁選に大野伴睦副総裁を擁立しようとして失敗、一時、自民党離党、新党結成を模索したこともあった。池田勇人内閣ができて、1年ほどで再び農相として入閣。その後建設相や副総理格の五輪担当相として、佐藤栄作を凌駕(りょうが)し、党内きっての実力者にのしあがった。五輪に向けた首都高速道路の新設などを指揮し、「池田内閣のうち建設、農林行政は河野内閣だ」と豪語したと言われる。

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中川佳昭

編集編成局編集委員

1962年生まれ。89年毎日新聞社入社。静岡、浜松支局、東京本社政治部。政治部では首相官邸、自民党(小渕、橋本派)、外務省などを長く担当。大阪本社社会部(大阪府庁キャップ)、政治部与党、官邸クラブキャップ、政治部副部長、同編集委員、社長室委員兼編集編成局編集委員などを経て2019年5月から編集編成局編集委員兼社長室委員。