菅義偉首相は「共助」を強調する。共助は社会の中で一緒に生きていくなかで生まれてくる関係性が前提となるはずだ。しかし障害を持っている人にはそもそも、社会に参加するための保障がない。
私は重度障害者で、介護者がいなくなれば施設に行かざるをえない。小さい時から施設に居ると、社会を知らずに大人になってしまう障害者も少なくない。特に介護の必要な障害者にとっては、親亡き後、施設で一生を終えてしまう人が多いのが現実だ。
学校でも障害者は分けられて扱われている。障害者にとっても健常者にとっても小さいころから分けられて育てられると、関係性を作る機会さえ奪われる。
ともに育ってきていないことで、お互いにコミュニケーションの取り方すら学ぶことができない。小さい時から一緒に育つ環境があれば、一緒に学校に行き、放課後は一緒に遊び、みんなと同じように就職をして、家庭を持ったり、子どもを持ったり、という普通の生活ができる。それを実現することがまずあるべきだ。
障害者の多くは、就学や就労、社会生活全般にわたって、あらゆる場面において必要な設備や制度などの合理的配慮が整うことにより、はじめて社会の一員として、社会参加することが実現できると考える。同じ社会で生きるための「公助」が実現されたうえで、はじめて共助の役割が果たせる。
十分な社会保障がされてこそ、安心できる生活が実現するが、障害者はいつの時代も、社会からは外されてしまっている。
社会から外されてしまっていた私が施設から社会に出て感じたことは、私も子育てをして感じたが、女性でいえば、子育てをするうえでの保障(保育園の整備やひとり親世帯への公助など)や、男女の賃金格差の問題が残されたままであることだ。菅首相が言う「共助」は…
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