東日本大震災から10年 復興のあり方を問う

田中秀明・明治大学公共政策大学院教授
  • 文字
  • 印刷
田中秀明氏=宮武祐希撮影
田中秀明氏=宮武祐希撮影

 2011年3月11日、マグニチュード9.0の大規模地震が東日本を襲い、死者・行方不明者合計で2万2000人(震災関連死含む)を超える未曽有の被害をもたらした。改めて亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。

 震災直後から始まった復興は間もなく10年を迎える。復興の指令塔である復興庁の設置が21年3月末までとされるなど、当初復興は10年間とされていたが、さらに10年間延長された。

 福島第1原発の処理は残されているとしても、土地造成・港湾・道路などインフラはほぼ整った。それでは、10年かけて真の復興は成し遂げたのだろうか。筆者は被災地をこれまで何度も訪れており、自分の目で見てきたことも踏まえて、復興の問題を考えたい。

陸前高田や気仙沼の実態

 被災地を訪れて最初に感じたことは、公共事業やインフラ整備の「巨大さ」である。例えば、岩手県陸前高田市では、土地のかさ上げのために、海岸近くの高さ約125メートルの山を切り崩し、高田と今泉の2地区で計約300ヘクタールのかさ上げを行った。土砂をトラックではなく、高架鉄道のようなベルトコンベヤーを造って運んだ=写真1。盛り土土量は1100万立方メートル(東京ドーム約9個分)、土地のかさ上げは最大で約12メートル、平均7メートルである(いずれも計画)。総工費は2000億円を超えたという。

 高田地区は「奇跡の一本松」で有名である。その土地は広大であり、土地のかさ上げが毎年進んでいくのを観察したが、ほんとうに壮観だった。17年4月には大型商業施設もできたが、19年に訪れた際には、全体としては、造成された土地だけがあり、住宅など建物はほとんどなかった=写真2。報道によれば、「中心部の高田地区や宅地が広がる今泉地区では約7割が利用未定のまま」(「毎日新聞」19年3月10日)であるが、見た目には1割以下だったと記憶している。

 防潮堤もいくつか見たが、万里の長城と言われるほど巨大であり、怖いほどの圧迫感を受けた。特に印象に残った一つが河川の護岸工事だった。宮城県気仙沼市の沖ノ田川という2級河川である。水が流れている川の幅は3メートル程度であるが、その両岸の堤防は幅5~50メートル、長さは800メートルに及ぶ。周囲には林などがあり、のどかな里山のように見えたが、住民はこのような堤防をほんとうに望んだのかと疑問に思った=写真3。

 堤防というより、ローラースケート場だ。新聞記事によると、「この地区で生まれ育った石巻市の男性(55)は沖ノ田川で釣りをして遊んだことが忘れられない。『コンクリートのV字谷になってしまったね』と嘆く」(「朝日新聞デジタル」16年8月18日)。

 復興の負の面を紹介したが、他方、成功例もあった。同じ気仙沼市に所在する大谷海水浴場の防波堤である。当初、行政が…

この記事は有料記事です。

残り4402文字(全文5563文字)

田中秀明

明治大学公共政策大学院教授

 1960年生まれ。85年大蔵省(現財務省)入省。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官などを経て、2012年より現職。専門は財政・ガバナンス論。著書に「官僚たちの冬 霞が関復活の処方箋」など。