細野豪志の「ダイバーシティジャパン」

人口急減 福島の課題は日本の将来を先取り

細野豪志・元環境相
  • 文字
  • 印刷
細野豪志氏=宮武祐希撮影
細野豪志氏=宮武祐希撮影

事故担当相として責任

 首相補佐官、原発事故担当相、環境相として、民主党政権で東京電力福島第1原発の事故対応にあたった。甚大な被害をもたらした事故であり、国民から厳しい評価を受けたのは当然だ。特に2011年3月15日までは情報が限られていたこともあり、現場を孤立させてしまった。後手後手に回ったことには私にも責任がある。

 15日以降は政府が前面に出た。自衛隊による放水は一度は断念したけれども17日に実際に放水することができた。また22日には原発事故対応に関する日米政策調整会議が設置された。私も日本側責任者だったが、会議をすることで日本政府のなかでも足並みがそろい、米国や世界に対して正確な情報を発信できるようになった。

 当時の自分の判断が現在まで大きな影響を及ぼしている。責任があると考え、ずっと福島に関わってきた。

中央依存から自立経済へ

 10年でよくここまで来たという思いもある。福島県大熊町の大川原地区が復興拠点になっているが、当初は復興拠点など作れるのかという認識だった。一方で残る課題を乗り越えないと本当の復興はない。

 10年たっても復興庁が存続している最大の理由は福島だ。戻る人はすでに戻り、戻らない人はもう戻らない。避難区域になった場所は人口が急減した。人口をどう確保するかという福島の課題は、日本の将来を先取りしている。新しい人を呼び込み、新しい産業をつくり、新しい街をつくる視点が必要だ。

 大熊町の渡辺利綱前町長は「研究開発の拠点として『第二の筑波』を目指す」と語っていた。原発はどうしても中央に依存する面があった。経済的なメリットはあったが、事故をもたらしてしまった。これからは福島が自立して経済を回す仕組みが課題だ。

風評被害には政府が反論

 自身が関わったことで、…

この記事は有料記事です。

残り1247文字(全文1989文字)

細野豪志

元環境相

1971年生まれ。2000年衆院初当選。首相補佐官、原発事故担当相、民主党幹事長などを歴任。衆院静岡5区、当選7回。民主党政権では原発事故対応に奔走した。00年に旧静岡7区で初当選した際は地縁がない、いわゆる落下傘候補だった。「パラシューター」という著書がある。