崩壊したままの地域 国会議員として被災して<上>

黄川田徹・元副復興相
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黄川田徹氏=野原大輔撮影
黄川田徹氏=野原大輔撮影

 東日本大震災の発生から3月11日で10年となる。私の出身地であり、今も住んでいる岩手県陸前高田市は津波にのまれ、街が壊滅した。私も妻(当時51歳)、長男(当時29歳)、妻の両親、秘書を亡くし、国会議員として復旧復興を進めることが供養になると自分に言い聞かせてきた。

 目の症状の悪化で2017年に政界は引退したが、現在も事務所でさまざまな相談ごとに応じている。この間、陸前高田市のハード面の整備は着々と進んできた。巨大な防潮堤が完成し、三陸沿岸道路も開通した。避難者の災害公営住宅などへの移転も進み、年度内には仮設住宅に住む世帯はゼロとなる予定だ。ただ、人々が暮らす街の復興という点では、なかなか軌道に乗り切れていないのが実態だろう。10年という年月は多くを変えてしまう。生活を取り巻く環境は変わり、それとともに課題も変わっていく。それぞれの課題に即した生活を支える支援が必要だ。

家族を失った現実と国会議員としての責務

 震災が発生したのは、地元に帰るため東京の国会議員会館からちょうど出ようとしたところだった。直後は電話がつながり、父や妻から「大丈夫」という声を聞いた。安堵(あんど)したのもつかの間、その後、状況は一変してしまった。

 妻や長男、両親は秘書の車で逃げる途中、津波に襲われ、自宅や事務所も流された。国会での予算審議や、地元で支援物資の確保の手伝いや近隣市町の被災状況調査の合間に、家族の行方を捜した。悲しむ暇はなかった。最後に見つかったのは妻だった。震災から5カ月後の8月11日、DNA鑑定で確認された。被災者の中では、私は幸せな方だと思う。いまだ2500人を超える行方不明の方がいる中、秘書と家族全員が見つかり、再スタートを切る…

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黄川田徹

元副復興相

 1953年生まれ。陸前高田市議、岩手県議を経て、2000年衆院選で初当選。民主党政権時に衆院東日本大震災復興特別委員長、副総務相、副復興相などを歴任。11年の東日本大震災で自宅や地元事務所が流され、妻、長男、妻の両親、秘書を亡くした。衆院旧岩手3区、当選6回。17年衆院選に出馬せず、政界を引退。