東日本大震災から10年 難しいからこそ進める「原発ゼロ」

枝野幸男・立憲民主党代表
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枝野幸男氏=尾籠章裕撮影
枝野幸男氏=尾籠章裕撮影

 東日本大震災の発生時、最も苦労したのは、いかにして情報を早く正確に集めるのかということだった。私は内閣官房長官として、国民に情報を伝える立場にあった。2011年3月11日夕、首都圏の鉄道はすべて止まっていた。帰宅難民が発生すれば2次災害の恐れがある。鉄道がいつ動くのか知りたかったが、国土交通省ルートからは全く情報が入ってこなかった。

 やむを得ず、当時のJR東日本の社長に直接電話をかけた。「申し訳ない、今晩は無理です」と、即答だった。この情報で、首都圏の人に対し無理に帰宅しないよう、呼びかけることができた。「じかあたり」しなければ情報は得られないと痛感した。

 福島第1原発事故も、情報がなく状況がわからなかった。最も危機感が募ったのは3月14日夜、東京電力の社長が「福島第1原発から撤退したい」(※注)と私に電話してきた時だ。福島第1原発は12日に1号機が、14日に3号機が水素爆発していた。「撤退などあり得ない」と15日朝、菅直人首相が東電本店に乗り込んでいくことになった。

 我々はそのとき初めて、東電本店と現地がテレビ会議システムでつながっていることを知った。「東電にはこんなに情報が入っていたのか」とがくぜんとした。情報は東電本店で止まっていたのだ。それ以降東電に統合本部を設置し、海江田万里経済産業相が東電に常駐する体制を作った。…

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枝野幸男

立憲民主党代表

1964年生まれ。93年衆院初当選。民主党幹事長、内閣官房長官、経済産業相などを歴任。衆院埼玉5区。当選9回。