中東・砂の迷宮から

アラブの春から見たロシア プーチン政権崩壊の可能性は?

真野森作・カイロ特派員
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反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の写真を掲げ、プーチン政権を批判する抗議集会の参加者=ロシア・モスクワ中心部のプーシキン広場で2021年1月23日、前谷宏撮影
反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の写真を掲げ、プーチン政権を批判する抗議集会の参加者=ロシア・モスクワ中心部のプーシキン広場で2021年1月23日、前谷宏撮影

 広場を埋め尽くすデモの人波、叫ばれる反政権のスローガン、力で抑え込もうとする治安部隊、そして両者の衝突――。2021年1月、私は10年前の11年に中東・北アフリカのアラブ諸国で起きた民主化要求運動「アラブの春」の取材と記事執筆を続けながら、ロシアで現在進行形の大規模デモが気になっていた。

 それは、私が13~17年にモスクワ支局に勤務し、その後もロシア・ウオッチを続けているからなのだが、やがて「両者の違いはどこにあるのだろう?」という素朴な疑問が沸いてきた。アラブの春ではエジプトなど数カ国で独裁政権が倒れたが、プーチン露政権は今のところそこまで追い詰められてはいない。

 一体、なぜか? そして今後はどうなのか? ロシアにおけるメディア接触のあり方、年齢別人口構成、政権の強みなどを切り口に考えてみた。

21年1月のデモの衝撃

 まずは1月下旬のロシアでのデモをおさらいしたい。ことの始まりは、反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(44)が20年8月、ロシア国内で治安機関に襲われたとみられる毒殺未遂事件だった。ナワリヌイ氏はドイツでの入院治療を経て、1月17日の帰国直後に過去の執行猶予付き判決の猶予条件違反などを理由に逮捕された。

 これに対抗してナワリヌイ氏の陣営は2日後、用意していた暴露動画をユーチューブで公開する。プーチン大統領(68)が黒海沿岸に巨大宮殿を所有しているという内容で、再生回数は10日ほどで1億回を超えた。そして、23日にナワリヌイ氏の釈放を求めるデモがロシア全土の120都市以上で実施された。このうち、首都モスクワでの参加者はロイター通信によると約4万人と推計されている。

 デモは31日にも各地で繰り返された。両日とも当局の許可を得ずに行われ、参加者はそれぞれ全国で20万~30万人に上ったとナワリヌイ氏の陣営は主張する。

 私が驚いたのは、プーチン体制下のデモといえば、これまではモスクワと旧都サンクトペテルブルクの2大都市が中心であり、地方への広がりはあまり見られなかったためだ。実際、ロシアにおいて100都市以上で一度に抗議集会が開かれるのは「今回が初めて」(英BBCロシア語版)といい、これまでにはない社会の動きだった。プーチン政権の腐敗体質や抑圧的な体制を変えたいという積年の思いや、経済難への不満がデモ参加者を突き動かしたという分析が有力だ。

 ただ、政権側はデモを淡々とつぶしにかかった。治安部隊を投入して全国で1万人以上を拘束したのである。ナワリヌイ氏の陣営はやむなく「春までデモを中断する」と表明し、抗議の波はいったん静まった。ナワリヌイ氏本人は過去の有罪判決の執行猶予を取り消され、収監されてしまった。モスクワの春は4~5月だ。春以降、9月の下院選へ向けて再びデモが盛り上がるかが注目点となる。

11年末のデモは大都市中心

 プーチン体制下における大規模デモは今回が初めてではない。例えば、11年12月には下院選での不正疑惑に端を発する野党勢力の抗議デモが勢いを増していた。この年12月下旬に開かれたモスクワでの抗議集会には主催者発表で約13万人(内務省発表は約3万人)が参加し、ソ連崩壊以降で最大規模と報じられた。サンクトペテルブルクなど他の大都市でも同様のデモがあり、翌12年3月の大統領選まで抗議運動は盛り上がった。最終的にはこの選挙でプーチン氏(当時は首相)が返り咲き当選を果たし、デモは沈静化していく。

 11年12月のデモの特徴について、私は当時、来日した国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」ロシア代表、アンナ・セボーティアン氏にインタビューしていた。

 彼女が指摘したのは次のような点だ。…

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真野森作

カイロ特派員

1979年生まれ。2001年入社。北海道報道部、東京社会部などを経て、13~17年にモスクワ特派員。ウクライナ危機を現場取材した。20年4月からカイロ特派員として中東・北アフリカ諸国を担当。著書に「ルポ プーチンの戦争」(筑摩選書)がある。