ウェストエンドから

「大きなもの」の間で翻弄される北アイルランド ブレグジットが和平を脅かす?

服部正法・欧州総局長
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「アイリッシュ海の境界にノー」と書かれた壁の前を通り過ぎる女性=北アイルランドのベルファストで2021年2月3日、AP
「アイリッシュ海の境界にノー」と書かれた壁の前を通り過ぎる女性=北アイルランドのベルファストで2021年2月3日、AP

 アイルランド島の北部にある英領北アイルランドが、ブレグジット(英国の欧州連合=EU=からの離脱)後に生じた新たな状況に悩まされている。

 北アイルランドはブレグジット後もEUの関税ルールが適用される「特区」的な扱いとなった。そのため、北アイルランドと英国の他の地域があるグレートブリテン島を隔てるアイリッシュ海に事実上の「境界」が引かれ、通関業務が発生することになった。同じ国内なのに、イングランドなど他の地域との間に「壁」ができてしまったのだ。

 こうした事態に、北アイルランドで英国の統治継続を望むプロテスタント系の「ユニオニスト」(統一主義者)と呼ばれる人たちの中には、疎外感や英国から切り離されてしまいかねないという不安が広がっている。ユニオニストと「ナショナリスト」(民族主義者=アイルランドへの併合を願うカトリック系住民)双方の過激派によるテロや衝突などで約3500人が犠牲となった北アイルランドでは、紛争終結(1998年)後のこの20年、和解が進んできた。

 だが、アイリッシュ海の「境界化」が政情不安や対立再燃につながらないか、懸念される。それぞれの立場の人たちの話を聞くと、英政府とEUという二つの「大きなもの」のはざまで翻弄(ほんろう)されている小さな地域の悲哀が浮かび上がってくる。

アイリッシュ海に引かれた「境界」、不満を表す落書き

 なぜアイリッシュ海に「境界」ができたのか、これまでも当コラムでは経緯を説明してきたが、改めて記したい。

 北アイルランド紛争の終結時の和平合意によって、北アイルランドの将来的な帰属は住民の意思に委ねられた。そして、北アイルランドと地続きのアイルランド共和国の間での住民の自由往来を保障し、国境検問が廃された。北アイルランドの住民は英国、アイルランドのいずれのパスポートも取得できるようになった。

 このため、ブレグジットを実現するにあたっては、英国側もEU側も、北アイルランドとEU加盟国であるアイルランドの国境について、厳格な国境管理を復活させないことを最優先に考えた。今さら国境を「復活」させたら、北アイルランド和平を危うくしかねないからだ。

 だが、英国がEUを離脱する以上、どこかで英EUの国境管理をしないといけない。苦肉の策として英EUが見いだした場所が、アイリッシュ海だった。

 英国という連合王国を形成するグレートブリテン島のイングランド、スコットランド、ウェールズ、それにアイルランド島の北アイルランドの四つの「国」は一体となってEUから離脱するが、北アイルランドにはEUの関税ルールを適用する。これにより、北アイルランドとアイルランドの間はこれまで通り、検問はなくて済む。その代わり、北アイルランドと英国の他の地域の間で物流をチェックする――こういった解決策だった。

 2020年12月31日に離脱移行期間は終了したが、ことはそうすんなり運ばなかった。21年1月1日から新たに生まれた通関業務に伴って、北アイルランドのスーパーなどで一時的に生鮮食品などの品不足が発生したのだ。

 煩雑な通関業務が突然発生することによる混乱を防ぐため、1~3月の間は猶予期間とされ、実際には多くの通関業務が一時的に免除されている。それでも、グレートブリテン島から北アイルランドへと物を運び、販売する業者の中には北アイルランドへの輸送を控える動きが出たことなどが、今回の品不足につながったとみられている。

 こういった状況下、北アイルランドでは最大都市ベルファストや、グレートブリテン島とを船で結ぶ港町ラーンの街中で、「アイリッシュ海のボーダー(境界)に『ノー』」「アルスター(北アイルランドの別称)は英国だ」などと書かれた看板や落書きが散見されるようになった。ユニオニスト側の不満表明と考えられている。

「植民地を思い起こす」ユニオニスト

 実際にユニオニストはどう感じているのか。

 ユニオニスト政党の中で98年の和平合意を主導したのは「アルスター統一党」(UUP)だ。当時の党首、デービッド・トリンブル氏はナショナリスト側で和平を主導したジョン・ヒューム社会民主労働党(SDLP)党首(当時)とともに同年、ノーベル平和賞を受賞し…

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服部正法

欧州総局長

1970年生まれ。99年、毎日新聞入社。奈良支局、大阪社会部、大津支局などを経て、2012年4月~16年3月、ヨハネスブルク支局長、アフリカ特派員として49カ国を担当する。19年4月から現職。著書に「ジハード大陸:テロ最前線のアフリカを行く」(白水社)。