アフリカン・ライフ

コロナ禍で家族同伴のアフリカ赴任 待ち構えていたハードルの数々

平野光芳・ヨハネスブルク支局長
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成田空港内にあるPCRセンター=2021年3月25日、平野光芳撮影
成田空港内にあるPCRセンター=2021年3月25日、平野光芳撮影

まるでギャンブルのようなPCR検査

 「緊張する、緊張する」。6歳の長女の声は、震えていた。膝の上に乗せると、体がこわ張っているのが分かった。

 成田空港のターミナルビル内にある「PCRセンター」。3月25日正午、私は妻と長女、2歳の長男と南アフリカ・ヨハネスブルクに渡航するため、新型コロナウイルスのPCR検査を受けていた。検査員が細長い綿棒を鼻の奥まで入れていくと、長女は体をのけぞらせて我慢している。その間、数秒。必死に涙をこらえて目は真っ赤だ。

 「良い記事を書きたい」という一心で決めたアフリカ赴任だが、苦しむ我が子を目にして「家族も巻き込んでいいのだろうか」と急に不安になってきた。

 ここまで来るのも紆余(うよ)曲折があった。私は前任の奈良支局から2020年4月1日付でヨハネスブルク支局に異動が決まり、家族とともに同年3月30日に出国する予定だった。ところが新型コロナウイルスの感染拡大で、南アフリカ政府が国際線の受け入れを全面的に停止したため渡航できなくなった。

 日本で待機を続け、南ア便が再開した同年10月に単身で渡航した。この時はまだ新型コロナの感染状況が見通せなかった上、再開が急に決まったので家族を連れて行けなかった。長女は今春から小学生。南アフリカの感染が少し落ち着いてきたので、節目にヨハネスブルクの日本人学校に入学させようと、予定より1年遅れで家族を呼び寄せることを決めた。

 日本と南アフリカは直線でおよそ1万3000キロ離れている。直行便はなく、乗り継ぎを含めて飛行機で20時間以上かかる。妻一人で幼児2人を抱えての長時間のフライトは厳しいので、私が日本に一時帰国し、家族をアフリカに連れて行くことにした。

 2月25日に南アフリカを出国して翌日、日本に到着した。南アフリカは新型コロナの変異ウイルスが流行しているため、日本に入国すると重点的な検疫対象となる。到着時の検査が陰性でも、最初の3泊4日は成田空港近くのビジネスホテルでそのまま隔離・待機を命じられる。

 退所後も12日間は自主隔離が必要で、せっかく日本にいても誰とも会うことができなかった。隔離終了後、妻子の引っ越しや渡航準備を手伝い、3月25日にようやく成田空港にたどり着いたのだった。

 長女は検査所のスタッフから「よく頑張ったね。すごいね」と次々と声を掛けられると、すぐに機嫌を取り戻した。「早く南アフリカに行きたい!」。父親の不安はとりあえず取り越し苦労だったようだ。

 南ア政府は5歳以下の子供には入国の際のPCR検査を免除しているので、2歳の長男に検査は必要ない。もし鼻から検体を採取されるとなれば、全身で大暴れして抵抗するのは間違いない。ベビーカーに乗ってぐっすり寝ていた長男の顔を見て、ほっと胸をなで下ろした。

 成田空港のPCRセンターは主に渡航者を対象として20年11月にオープンし、結果が陰性ならば検査から4時間ほどで英文の証明書を発行してくれる。ただ渡航用のPCR検査にかかる費用は一般的に安いとは言えない。

 同センターの料金は1人1回3万2500円(4月以降は同3万円)かかる。検査前に発熱の有無や体調のチェックはしたが、無症状の患者もいるのが新型コロナのやっかいな特徴である。家族の誰か1人でも陽性だったら渡航を延期せざるを得ず、検査費用が全て無駄になってしまう。

 さらに全員が陰性でも子供が急に発熱したり体調不良を訴えたりすれば、飛行機…

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平野光芳

ヨハネスブルク支局長

2001年入社。大津支局、福井支局敦賀駐在、大阪社会部、ジャカルタ特派員、奈良支局などを経て20年からヨハネスブルク支局長。共著に「なぜ金正男は暗殺されたのか」