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50歳迎えたボリショイの元名脇役 「最後の大舞台」と語った真意は(下)

大前仁・外信部副部長
50歳の記念公演でソ連時代の歌手ビソーツキーの曲に合わせて踊る岩田守弘さん=ロシア中部ニジニノブゴロドで2021年4月8日、前谷宏撮影
50歳の記念公演でソ連時代の歌手ビソーツキーの曲に合わせて踊る岩田守弘さん=ロシア中部ニジニノブゴロドで2021年4月8日、前谷宏撮影

 ロシアのボリショイ・バレエ団などで活躍してきたダンサーの岩田守弘さん(50)は4月の公演後に引退をほのめかした。長年、最高峰の劇場で踊ってきたからこそ、体力の低下を理由にして「レベルを落として踊ることは許されない」と言う。しかし、本当にそれだけが理由なのか。このまま舞台を去っていくのか。その真意を尋ねてみた。

 4月8日、岩田さんがバレエ団の芸術監督を務めるロシア中部のニジニノブゴロド国立劇場では、彼の50歳を記念する公演が催された。二つの演目を踊りきった岩田さんは称賛を浴びたが、公演後に今回が「最後の大舞台になるかもしれない」と公言した。これまで芸術監督とダンサーの二足のわらじを続けてきたが、今後は指導者に専念していく、と解釈していいのかもしれない。

 公演の数日後に、私は岩田さんに電話して話を聞いてみた。まず、今回の公演は岩田さんにとって1年ぶりの舞台になったこともあり「恐怖心がありました。踊る前に『舞台は怖いな』と思ったのです」と打ち明けてきた。もともと岩田さんは舞台前に緊張するタイプという。1年のブランクは、緊張を通り越して岩田さんに恐怖心を抱かせていた。

 この日はショパンのピアノ組曲に合わせた演目と、ソ連時代に活躍した歌手、ウラジーミル・ビソーツキーの曲をBGMとした作品を踊った。公演後にあいさつをする当日の映像からは、岩田さんの喜びがひしひしと伝わってきた。

 何がそんなにうれしかったのだろうか。私が尋ねると、岩田さんはこう答えた。「お客さんの拍手ですかね。喜んでもらったことですかね。ブラボーという声援を受けたことですかね。単純ですよ」。改めて、観客が満足することが何よりもうれしい自分に気がついた様子だった。

 私が岩田さんの取材を始めてから12年がたつが、当時から「踊れるのならば、どんな劇場でもいいのです」と話していた。50歳を過ぎた今も、その気持ちは変わらないようだ。舞台に上がり、踊りを披露し、拍手を浴びることを純粋に楽しんでいた。引退を決意した人の踊りとは、とうてい思えなかった。

寂しさも悲しみもなく

 私は核心の部分を問うた。公演の前から岩田さんは「今回が最後になるのかもしれない」と公言していたが、舞台を去ると決めたことで、寂しさを感じなかったのだろうか。悲しみに襲われなかったのだろうか。

 「(最後の演目を踊り)終わったら、(寂しさが)こみ上げてくるのかな。自分でもそう思っていました」と岩田さん。ところが「全然(そういう気持ちには)ならなかったのです」という。「感無量ではなく、(むしろ)うれしくて、楽しくて」。そんな気持ちになっていた。

 これを聞いたときには、私は意外だった。9年前にボリショイ劇場で最後の演目を踊った直後の岩田さんは泣き出しそうな顔をしていた。じっと天井を見つめることで、こぼれそうな涙をこらえていた姿が印象的だった。だが今回は涙とは無縁だったという。

 なぜ、最後の舞台と決めても、悲しみに見舞われなかったのだろうか。この点について、岩田さんは次のように分析してくれた。それは今回の公演で「一番の目的が(今、所属している)劇場を発展させるためだったからです」と言う。つまり自分のことだけを考え、踊っていればいいわけではなかったからだ。

 この日は半年遅れで岩田さんの50歳を祝う公演だったが、自ら公演を発案したわけではなかった。昨年は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、劇場が9カ月も閉鎖される憂き目にあった。

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外信部副部長

1969年生まれ。2008~13年、18~20年にモスクワ支局勤務。現在は旧ソ連諸国や米国の情勢、日露関係を担当。