「紙上の同盟」は終わった

手嶋龍一・外交ジャーナリスト・作家
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手嶋龍一氏
手嶋龍一氏

 太平洋を挟んで安全保障の盟約を育んできた日米両国は、半世紀ぶりに今回の共同声明に「台湾海峡」という文字を刻んだ。

 前回、日米が「台湾地域」と表現した共同声明を取り交わしたのは1969年のことだった。実は52年前の文書は、表向きは東側陣営に対する対決姿勢をうたっていたが、中国批判のトーンは程よく抑制されていた。その行間に冷戦の構図を覆す予兆をそっと埋め込んでいたのだった。

 69年こそ、まさしく「危機の年」だった。ベトナムの戦局は厳しさを増し、前年のテト攻勢を受けて、南ベトナムの駐留米軍はこの年、54万人余りに達していた。その一方で、社会主義陣営を二分して対立する中ソ両国は、中国北方の国境地帯の珍宝島(ロシア名・ダマンスキー島)を舞台についに武力衝突を引き起こした。

 共和党のニクソン大統領は、錯綜(さくそう)した苛烈な内外の情勢のなか、ホワイトハウスに入ったのである。北ベトナムの背後に控える中ソ両大国とそれぞれ対峙(たいじ)しながら、同時にベトナム戦争の泥沼から抜け出す秘策を練らねばならなかった。

 この年の11月、ニクソン大統領は、日本から佐藤栄作首相を迎え、日米の共同声明を取り交わして沖縄の返還を約束した。佐藤政権はその代償として「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとってきわめて重要な要素である」と述べ、米側の台湾防衛のコミットメントに組み込まれた。

 これより少し前、ソ連の精鋭部隊が国境付近に展開し、北京を標的に核攻撃の準備を進めている事実を米諜報(ちょうほう)当局が察知した。ニクソン政権は「ソ連が核のやいばに手を伸ばすなら、米国は中国に寄り添わざるをえない」ことを暗示する「国務副長官声明」を発して、米中接近のシグナルをひそかに発したのだった。この声明の筆を執ったキッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官は、後に私にこう明かしている。

 「2年後の極秘訪中に先立って打った我々の最も重要な布石だった」

 ニクソン・キッシンジャー組は、政権発足の直後から中国に接近を図ってソ連をけん制し、ベトナム戦争からの名誉ある撤退を策していた。だが、米中和解のためには何としても抜かなければならない棘(とげ)があった。それが台湾問題だった。

 「米国は台湾問題の平和解決を希求する。両岸の中国人が中国はひとつだと述べていることを事実として知り置いている」

 ニクソン大統領は、72年に上海で発表した「上海コミュニケ」でこう表現して新たな米中関係の礎としたのだった。この外交文書は、台湾海峡の波を穏やかなものとし、結果として日米同盟にあっても台湾有事を封印する役割を果たしてきた。

 だが、半世紀の歳月を経て、海洋強国を目指す「習近平の中国」の攻勢によって、台湾問題はメリーゴーラウンドのように我々の眼前に再び巡ってきた。

 ワシントンで行われた菅・バイデン会談を受けて発表された日米共同声明は、「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」と明記している。

 文書作成の交渉に関与した関係者によれば、原案には「両岸問題の平和的解決を促す」というくだりはなかったが、日本側の強い求めで付け加えられた…

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手嶋龍一

外交ジャーナリスト・作家

1949年生まれ。NHKワシントン支局長として同時多発テロ事件の11日間にわたる中継放送を担う。NHKから独立後、インテリジェンス小説「ウルトラ・ダラー」を上梓(じょうし)してベストセラーに。慶応大学教授としてインテリジェンス戦略論を担当。「たそがれゆく日米同盟」「ブラック・スワン降臨」(新潮社)「汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師」(マガジンハウス)など著書多数。