神と喧噪の南アジアから

2700年前に姿を消した「ユダヤ人」たち ディアスポラ@南アジア(ブネイ・メナシェ編)

松井聡・ニューデリー特派員
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 ブネイ・メナシェの子供たち=インド北東部マニプール州チュラチャンドプールで2021年3月、松井聡撮影
ブネイ・メナシェの子供たち=インド北東部マニプール州チュラチャンドプールで2021年3月、松井聡撮影

 イスラエルの失われた10支族――。約2700年前、イスラエルから忽然(こつぜん)と姿を消したとされるユダヤ人の部族のことだ。自分たちをその末裔(まつえい)だと信じる人々が、遠く離れたインド北東部に住んでいる。日本人のような顔つきの彼らは、ユダヤ教の教えを守って暮らし、悲願であるイスラエルへの「帰還」も進む。イスラエル政府もこうした人々を受け入れている。だが、そこにはある政治的な思惑が潜んでいるとの指摘もある 。

「イスラエルへの移住は幼い頃からの夢」

 インド北東部マニプール州チュラチャンドプール。第二次世界大戦中、多数の日本兵が犠牲になった作戦で知られる州都インパールから車で南へ走ること2時間半あまり。ミャンマーに近く、約27万人が住む同州第2の都市だ。日本人に似た顔つきのモンゴロイド系の少数民族が多く暮らす。自らをユダヤ人の末裔だと信じる「ブネイ・メナシェ」と呼ばれる人々も、その容貌は日本人に似ている。チュラチャンドプールを中心に、6000人ほどが暮らす。「ブネイ」はヘブライ語で「子供たち」の意味、「メナシェ」は「失われた10支族」のうちの一部族の名前だ。

 「イスラエルは祖先の土地であり、移住は幼い頃からの夢だった。イスラエルに着けば、これまでに感じたことがないほどの満足感と心の平穏が得られると思う」。ブネイ・メナシェのオハリアブさんは(37)は期待を膨らませていた。オハリアブさんは他の約560人とともに、数カ月以内の移住を目指して準備を進めている。

 ブネイ・メナシェのイスラエルへの移住は1990年ごろに始まり、これまでに約4000人が移り住んだ。イスラエル到着後は、移住者の社会への適応を助けるための施設「適応センター」で数カ月間、ヘブライ語や文化、習慣などの研修を受ける。またブネイ・メナシェはユダヤ教の教えを実践してはいるものの、イスラエル側から正式なユダヤ教徒としては認められていないため、イスラエル到着後に改めて改宗の手続きを踏むことになる。

ブネイ・メナシェとは

 では、ブネイ・メナシェとはどのような人たちなのか。旧約聖書によると、紀元前720年代、現在のイスラエルの辺りにあった「イスラエル王国」はアッシリア人の侵攻を受け、滅亡する。この際、この地に住んでいた10の支族の行方が分からなくなってしまった。これが「失われた10支族」だ。ブネイ・メナシェはこの10の支族のうち、「メナシェ(マナセ)族」の末裔だと信じられている。

 ブネイ・メナシェの歴史や地域の文化に詳しいハオキップさん(68)によると、この支族は数世紀かけてペルシャ(イラン)、アフガニスタンを経てチベット、中国と東に移動した。そこからビルマ(ミャンマー)に行き、インド北東部のマニプール州やミゾラム州にたどり着いたと伝えられている。

 話はそれるが、「失われた10支族」を調査するユダヤ人の間では、科学的な根拠はないが、日本人も「失われた10支族」の末裔だとする「日ユ同祖論」が信じられている。ブネイ・メナシェの人々もこの影響を受けて「日本人もユダヤ人の末裔」だと考えており、私が取材していた時も「日本人はなぜイスラエルに帰還しないのか」と聞かれることが度々あった。

 またアフガニスタンのイスラム原理主義組織「タリバン」の主流派であるパシュトゥン人も、失われた10支族の末裔だと主張する人もいる。

 話を戻そう。ブネイ・メナシェは人種的にはモンゴロイドで、民族的にはインドとミャンマーの国境地帯で暮らすクキ族やミゾ族、チン族に分類される。ブネイ・メナシェの人たちは「長年アジアで暮らしてきたためアジア人との混血が進んだ」と考えている。一方、これらの部族は伝統的にアニミズム(原初的な精霊崇拝)を信…

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松井聡

ニューデリー特派員

1982年生まれ。2005年に入社し、福井支局、大阪社会部などで勤務。宗教と民族の多様性、発展と貧困、政治の混乱などさまざまなキーワードでくくれる南アジア。今何が起き、そしてどこへ向かうのか。将来を展望できるような情報の発信を目指します。