
今回の菅義偉首相とバイデン米大統領の日米首脳会談で、新聞・テレビが大きく取り上げたのは、中国が台湾への軍事的な圧力を強めていることを受け、会談後の共同声明で「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」と明記されたことだ。
52年ぶりの「台湾」言及
日米首脳会談の共同声明で「台湾」が入るのは、1969(昭和44)年11月の佐藤栄作首相とニクソン米大統領との会談以来で、72(昭和47)年9月の日中国交正常化により、台湾と断交して以降は初めてだ。約52年ぶりのことである。
共同声明では「経済的及び他の方法による威圧の行使を含む、国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した」と中国を強くけん制しており、日米両国で中国への脅威に対処していくことをうたいあげ、香港及び新疆ウイグル自治区の人権状況について「深刻な懸念を共有する」とまで言及した。
状況は大きく違う
52年ぶりの「台湾」出現がクローズアップされて、対中一色の感があるが、69年当時とは状況が大きく違う。
69年の佐藤・ニクソン会談では、佐藤氏が「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとっても極めて重要な要素である」と述べたことが共同声明の中で明記されたが、今日と違うのは、当時の台湾の「中華民国」と日米が国交を結んでおり、中国が今日のような大国として、台湾に軍事攻勢をかけようという状況ではなかった。
むしろ、毛沢東率いる中国(中華人民共和国)に対し「大陸反攻(中国共産党政権に反抗して、台湾の国民党政権が大陸に戻る)」を唱和する台湾の蔣介石国民党政権を手なずける意味があった。
日米ともに共産主義への警戒感があったのだが、「大陸中国」は文化大革命の後、国際社会進出を本格化させ、71年に国連に加盟、日本とは72年、米国とは79年に国交を結ぶことになり、「台湾」は消えてしまったのである。
佐藤栄作首相の実兄である岸信介元首相は「私は蔣介石さんには数回(首相当時も含め)お目にかかっていろいろな話をしているが、その中で大陸反攻というようなことを企てても、軍事的にこれを実現することはほとんど不可能に近いということを話した。蔣介石は非常に不満の様子だった。『君の言うことは非常に穏やかな方法だけどもそうはいかんのだ』と言っていた」(「岸信介証言録」=毎日新聞社刊)と証言している。
解散のタイミング
今回の首脳会談と69年首脳会談と共通しているのは、佐藤首相も菅首相も訪米を国内政局とリンクさせていることだと言える。
佐藤首相の悲願は米軍の統治下にあった沖縄の72年返還。「核抜き本土並み(返還)」の実現を首脳会談で合意し、その成果を引っさげ、衆院解散・総選挙で勝利をおさめることだった。そのタイミングをはかっていたのである。
佐藤はニクソン大統領との首脳会談で、「核抜き本土並み」で合意する。会談後、下田武三駐米大使主催のレセプションが日本大使公邸で開かれるが、宴の途中で佐藤首相は別室へ、同行していた竹下登氏(後に官房長官、首相)を呼んで、「おい、竹下君、…
この記事は有料記事です。
残り1807文字(全文3090文字)
連載:政史探訪
- 前の記事
- 「横紙破り」河野太郎の政権盗り
- 次の記事
- 日中国交正常化をめぐる「保守本流」福田赳夫の気後れ