ダイヤモンド・プリンセス号事案は 「日本型システム」との闘いだった

滝野隆浩・社会部専門編集委員
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船内活動の準備をするDMAT隊員=厚労省DMAT事務局提供
船内活動の準備をするDMAT隊員=厚労省DMAT事務局提供

 昨年9月、毎日新聞で連載した「ドキュメント ダイヤモンド・プリンセス号の実相」(全15回)に大幅加筆し、「世界を敵に回しても、命のために闘う」(毎日新聞出版)としてこのほど出版した。国内で初めて、新型コロナウイルス感染症の大規模対処となったダイヤモンド・プリンセス(DP)号事案。

 執筆しながら新聞連載では書き切れなかったテーマを掘り下げてみたのだが、頭に浮かんだのは「日本型システムの限界」という言葉だった。

 これまで、「奇跡の戦後復興」を支えた成功体験として受け継がれてきた日本の諸制度が、いま、時代遅れになっている。そのことをDP号の事案は浮き彫りにし、その後の後手に回った政府のコロナ対応でさらに明白になった。変化に対応できないシステムで動いている社会は生き残っていけない。そう痛感した。

救える命を救う

 乗客乗員3711人を乗せた大型クルーズ船が、東南アジアの船旅を終えて横浜港に帰港したのは昨年2月3日夜のこと。香港で下船した乗客が新型コロナ感染症陽性だったため、閉鎖空間が多いという構造上、船内で集団感染が発生していることは間違いなかった。

 船内の新型コロナ感染症対処活動の中心となったのはDMAT(災害派遣医療チーム)である。感染患者の検査・隔離という任務がはたして「災害」対処なのか。派遣の根拠はあいまいだった。ただ、未知の感染症の現場に入り、「1000人規模」と想定された患者を搬送できるのは、多くの災害現場を経験した彼ら以外にはいなかった。

 乗客の多くは高齢で持病の薬を切らし発熱者が続出し、命の危険があった。ところが、官邸・厚生労働省は、法律を根拠に「PCR検査をして患者を隔離せよ」と指示し続けたのだった。

 DMATは1995年の阪神大震災の教訓から2005年に創設された。彼らは「救える命を救う」という原則で行動する。だから現場の声を聞き、現場の状況がわかっていない官邸の指示を聞き流し、自分たちで判断して、発熱患者や高齢者の下船を、陽性患者より優先すると決めた。そうして外国人を含む769人の患者を全国16都府県の150病院に搬送した。船内での亡くなる人が出ることもなかった。本では、そうした活動の詳細を、4人の現場リーダーを登場させて描いている。

「神奈川モデル」の構築

 ただ、困難を極めた患者搬送を「第1幕」とするなら、DP号の事案には「第2幕」があった。感染患者が多数出た場合に備えた医療体制「神奈川モデル」の構築である。現場のリーダーたちは未曽有の事態の問題を整理し、教訓を抽出して、新しい医療体制をつくりあげた。しかも、彼らはそれを、1カ月半でやり遂げたのだった。

 「神奈川モデル」の一番のポイントは、コロナ陽性患者に軽症・無症状患者が多いことを踏まえてホテルもしくは自宅で健康観察を続けながら療養させる仕組みである。感染症法などに従って軽症・無症状患者を機械的に入院させればすぐに病床は不足し、医療崩壊につながる。

 このため、従来はなかった「中等症」という考え方を取り入れ、まず重点医療機関に集めて、重症化した場合は人工心肺装置ECMO(エクモ)などのある高度医療機関へ、軽症・無症状患者はホテルや自宅の療養に振り分けた。先進的な取り組みで、その後の国のコロナ対策の下敷きになった。

 さらに神奈川モデルは課題に直面するごとにバージョンアップしていった。患者受け入れを円滑にするためのマッチングシステムがつくられた。また、精神科、妊産婦、透析患者、小児科など、個別事情に合わせた仕組みを次々構築していった。

闘ったのは古い意思決定シス…

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滝野隆浩

社会部専門編集委員

1983年入社。甲府支局、社会部、サンデー毎日編集部、夕刊編集部副部長、前橋支局長などを経て、社会部専門編集委員。現在、コラム「掃苔記」を連載中。人生最終盤の緩和医療・ケア、ホスピスから死後の葬儀、墓問題までを「死周期」として取材している。さらに家族問題のほか、防衛大学校卒の記者として自衛隊をテーマにした著書も多数。著書に「宮崎勤精神鑑定書」「自衛隊指揮官」「沈黙の自衛隊」「自衛隊のリアル」「これからの葬儀の話をしよう」などがある。