日本外交の現場から

与党大敗のソウル市長選が日本に投げかけるもの

大貫智子・政治部記者
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選挙ポスターの掲示板の前を歩く人々=ソウルで2021年4月7日、AP
選挙ポスターの掲示板の前を歩く人々=ソウルで2021年4月7日、AP

 1年後には悪化した日韓関係に変化が訪れるかもしれない。最近、そんなかすかな希望が日本政府内で漂っているのを感じる。4月7日に投開票されたソウル、釜山両市長選で保守系候補が大勝したことを受け、2022年3月に予定される大統領選で保守政権が誕生するのではないか、という期待感があるようだ。

 国交正常化後最悪と言われるほどに悪化した文在寅(ムン・ジェイン)政権に続き、次の5年間も進歩政権が続きそうだという警戒感が強かっただけに、変化に望みを見いだしたくなるのは理解できる。

 しかし、現在の韓国はかつてのような保守対進歩(日本のリベラルに近い)という単純な理念対立では語れない。特に若年層はまったく別の価値観を重視していることがさまざまなデータから読み取れる。今回のソウル市長選で注目された20代以下の投票行動について専門家に分析してもらいながら、日本国内の保守政権待望論に警鐘を鳴らしたい。

コンクリート支持層だった20代女性もノー突きつけ

 「若い有権者たち 進歩離脱加速」(ハンギョレ新聞電子版、4月7日)、「20代男 73%呉世勲支持 『民主党が嫌なだけ 俺は保守ではない』」(中央日報電子版、4月9日)――。

 今回、ソウル市長選での出口調査結果で最も注目を集めたのは20代以下の若い有権者だった。韓国では、投開票日に行われる大手放送3社による出口調査結果を各メディアが報じ、これを基にさまざまな分析がなされる。今回の出口調査で、世代別で男女差が最も大きかったのが18歳~20代の若年層だった。

 具体的な数字はこうだ。男性は、進歩系与党「共に民主党」の朴映宣(パク・ヨンソン)候補(61)に票を投じたと答えたのはわずか22.2%にとどまり、保守系最大野党「国民の力」の呉世勲(オ・セフン)候補(60)に72.5%と圧倒的な支持が集まった。一方、女性は朴氏が44.0%、呉氏が40.9%と拮抗(きっこう)した。代わりにその他の「泡沫候補」に15.1%もの票が集まったのが話題となった。

 韓国メディアは、特に20代以下の男性の投票行動に焦点を当てた。ただ、30年以上にわたり韓国社会を研究している早稲田大韓国学研究所招聘(しょうへい)研究員の春木育美氏は「文政権に対し、いち早く反旗を翻したのが20代男性で、今回はやっと女性が意思表示をした」と20代女性に注目すべきだと解説する。

 文政権は女性支援の姿勢を強調したことなどから、兵役で2年近く苦労しなくてはならない20代男性からは「不公平だ」という不満が高まっていた。一方、若年層の女性は強固な支持基盤だった。それが、今回は与党候補に4割余りしか投票しなかったこと自体が驚きだという意味だ。

 私はソウル特派員だった16年晩秋、朴槿恵(パク・クネ)大統領(当時)の弾劾を求めてろうそくを掲げた若者たちの声を数多く聞いた。若年層が文政権の誕生を後押ししたといっても過言ではない。特に女性からの支持は圧倒的だった。そんな彼女たちがなぜ文政権に失望したのか。今回の選挙結果は次期大統領選にどう影響するのか。春木氏を訪ね、インタビューした。

◇ ◇

 ――ソウル市長選が、次期大統領選の前哨戦として注目されたのはなぜでしょうか。

 ◆首都ソウルの首長は大統領に次ぐポストのような政治的意味合いがあることに加え、朴元淳(パク・ウォンスン)前市長の自殺により、次期大統領選まで1年足らずのタイミングで行われるという異例の事態になりました。文政権の支持率が急下降する中、ソウル市長選は、文政権を審判するような性格が強まりました。

 ――中でも20代の投票行動が関心を集めましたね。

 ◆かつて韓国の選挙は、有力政治家が自分の出身地を中心とした特定の地域で圧倒的な支持を得る地域主義が顕著でした。近年は新たな対立軸として理念や格差、そして世代が浮上しています。とりわけ前回17年の大統領選では世代という対立軸が際立ちました。20、30代の圧倒的な支持は、文政権誕生の原動力となったのです(※注1)。

 今の韓国社会の政治的傾向を世代別で見ると、進歩系は50代の民主化運動世代とその下の40代、保守系は60代以上の高齢者というコンクリート支持層がそれぞれいます。そうすると票が動くのは20、30代の若年層で、特に20代はスイングボーターの代表格です。

 ソウルには韓国全体の有権者の20%が住んでいます。ソウル市内の人口分布を見ると、不動産の高騰で30代は市内では家が買えずソウル近郊の京畿道に住んでいる人が多いのに対して、20代は大学生などが多数市内に住んでいます。その20代で今回、与党支持がドラスチックにガクンと落ち、若者たちが、がぜん存在感を示しました。20代の支持率の行方が大きな注目を集めるようになったことにより、彼らの政治的有効性の感覚は大いに高まったと思います。

 ※注1 世論調査会社「ギャラップ」の世論調査結果によると、文政権発足翌月の17年6月、政権支持率は20代以下の女性で94%、男性も87%に上っていた。

 ――若年層の女性の支持離れを招いた原因は何でしょうか。

 ◆文氏はフェミニズム大統領になると掲げていたので、20代の女性たちは、女性の社会進出が進み、性差別が是正されるのではないかとすごく期待して希望を託したと思います。若い女性たちは江南駅殺人事件(※注2)などにより身の危険を感じていて、生存権の保障を求めていると思うんですね。進歩の人たちは、かつて女性たちを犠牲にして社会のヘゲモニー(指導的な地位)を握ってきたという罪悪感のようなものがあります。また、人権意識の高さを旗印にしてきたこともあり、自分たちの娘の世代では女性が生きやすい社会にしようという気持ちはあったと思います。

 ただ、いかんせん中身が伴わなかった。朴氏が自殺した時、セクハラを受けた被害者の女性に対して複数の与党議員は「被害者と訴えている人」と呼んで取り合わず、女性たちの立場に立ったわけではなかった。コロナ禍で女性の自殺率も上がっていて、最近のデモで掲げられている看板には「出生率ではなく自殺率を見ろ」と書かれています。子供を産むどころではなく、生きるか死ぬかなんだ、と訴えています。

 ※注2 16年5月17日、若者でにぎわうソウル南部・江南駅近くのカラオケ店で、34歳の男が23歳の女性を刃物で切りつけ、殺害した事件。男は女性と面識はなく、「女性たちから相手にされず、犯行に及んだ」と供述した。韓国統計庁が21年3月に発表した調査では、13歳以上の女性で「夜、一人で歩いていて安全だと感じる」と答えたのは50.2%と半数余りにとどまった。

 ――とはいえ、単純に若者が保守化したわけではない、と指摘されますね。

 ◆呉氏が良いわけではない。「国民の力」を支持する理由がないと思うんですね。若者政策で何か画期的なものを打ち出したかというと、別にない。これはもう文政権に一泡吹かせてやるっていう怒りの意思表示だったと思います(※注3)。

 進歩だからとか保守だからというのは関係なくて、自分たちを救ってくれるかどうかという実利が重要なので、保守を選ぶ理由もない。とにかく自分たちの苦境を分かってくれて、変えてくれる政治家に向かうのではないでしょうか。保守だからだめで進歩だから良いというのはもう通用しないと思います。

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大貫智子

政治部記者

神奈川県生まれ。2000年入社。前橋支局、政治部、外信部を経て13~18年ソウル特派員。12年と16年に訪朝し、元山や咸興、清津など地方も取材した。論説委員、外信部副部長を経て、21年4月から政治部で日本外交を取材。ソウル駐在中から取材を始めた日韓夫婦の物語「帰らざる河ー海峡の画家イ・ジュンソプとその愛」で小学館ノンフィクション大賞を受賞した。