
守るもの
「鬼滅の刃」での禰豆子の描き方には心をひかれる。禰豆子はいつも誰かを守ろうとする。家族が鬼に襲われた際には弟を守ろうとする。鬼となっても兄を守ろうとする。
作品には竈門(かまど)や炭の隠喩、藤の花の聖域など民俗学的な描写がある。民俗学で守る妹とくれば「妹の力」(柳田国男)が思い浮かぶ。
「女性が持つ特別な力で親族の男性を守る」という物語は各地にある。沖縄の聞得大君(きこえおおきみ)や伊勢の斎宮などもその例だ。「男性支配を強化する道具としての女性」などと単純化するのはよくないが、守られる男性と守る女性の間に緊張関係があることは大切だ。
聞得大君も斎宮も祈りによって王を守る。しかし、聞得大君は地域に根付く巫女(みこ、ノロ)の力を背景に持っており、世俗的な権力をけん制している。斎宮もまた、天皇を守る存在であると同時に、朝廷にとって脅威である東国を背景に持つ。
権力者が畏れる呪術的な力であり、現代風に言い換えれば民衆の力でもある。禰豆子もまた、兄を守ると同時に、鬼(呪術的な力)として刀(世俗的な力)を持つ兄を喰(く)おうとする性質を持つ。
口かせは自律の象徴
禰豆子の口にかせがあって言葉を話さず、日の光のもとに出られず、兄に背負われることで移動するのは、読者が暮らす日本社会での弱者の実感を表している。
高度成長期の物語は常に強さが問題だった。強さを発揮するものが男性から女性に変わったとしてもそれは同じだ。しかし、鬼滅は、「強く、男性性を強調される主人公」と「弱く、女性性を強調されるヒロイン」というテンプレートをおざなりに利用しながら(炭治郎はしょっちゅう弱音を吐いて泣くし、禰豆子は苦戦する兄を尻目にいきなり鬼の首を飛ばす)、強さを目指さない。
なぜならば鬼滅の世界では強者は欲望を野放図に追求する鬼だからだ。欲望を抑制できなければ人は鬼になり、人を喰うようになるという主張は、今の日本社会では実にリアリティーがある。読者はすぐに、鬼になってしまった何人かの顔を思い浮かべることができると思う。
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