続クトゥーゾフの窓から

民間機を強制着陸させたベラルーシ 信を失った独裁政権の行く末は

大前仁・外信部副部長
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2010年の大統領選で4選された直後のルカシェンコ大統領。抗議活動を力ずくで抑え込んできたこともあり、多くの国民から反発を招いている=ベラルーシの首都ミンスクで2010年12月、大前仁撮影
2010年の大統領選で4選された直後のルカシェンコ大統領。抗議活動を力ずくで抑え込んできたこともあり、多くの国民から反発を招いている=ベラルーシの首都ミンスクで2010年12月、大前仁撮影

 アテネ発の民間機をベラルーシ当局が5月23日に自国の空港に強制着陸させた問題は、国際社会から多くの批判を招いている。私は合計7年間のモスクワ特派員時代に3度にわたりベラルーシを訪れた。その時の体験を中心にして、私が見たベラルーシという国やルカシェンコ政権を紹介し、その行く末を考えたい。

 私が初めてベラルーシを訪れたのは約10年前の2010年12月。ルカシェンコ大統領が当然のように4選を果たした大統領選を取材するためだった。それまで「欧州最後の独裁国家」と呼ばれていたこの国に対し、いい印象を持っていなかった。1994年から統治しているルカシェンコ大統領の独裁ぶりばかりが伝わってくるからだ。さぞかし怖い国なのだろうと思っていた。

整然としていた首都

 ところがベラルーシの首都ミンスクを訪れると、別の印象を抱くようになった。街中にはほとんどゴミが落ちていないし、タクシー会社に電話をかければ、すぐに配車してくれる。私が拙いロシア語で物事を尋ねると、親切に教えてくれる人が少なくない。ミンスクの中心部にはBMWなども販売店を構えており、表層だけなぞれば、他の欧州の国と変わらない「普通の国」に見えなくもなかった。

 なぜ、この程度の出来事に好印象を抱いたのかといえば、当時のモスクワでは普通にタクシーに乗ることが一苦労だったからだ。タクシー会社に電話をしても、オペレーターから「あなたのロシア語は分からない」と電話を切られてしまうこともあった。遠回りをして料金を上乗せするタクシー運転手も珍しくない。だから街中を車で走る市民に料金の交渉をしたうえで、タクシー代わりに乗せてもらうことが多かった。また当時のモスクワの街並みはお世辞にもきれいとはいえなかった。

 対象的にミンスクでは普通にタクシーに乗れるし、街中はきれいだし、行き交う人たちは親切だった。このときはベラルーシの地方まで赴いた。大統領選について取材すると「ルカシェンコを支持しない」と答える人もいた。欧米からは「欧州最後の独裁国」のレッテルを貼られていたが、率直に意見を述べる市民も少なくない。

 「ソ連の色彩が残された最後の国」。ある日本人外交官はベラルーシをそう表現していた。市場経済の競争にさらされておらず、石油の精製業や機械生産業が主要産業として残り、多くの国民が国営工場で働いていた。独裁を敷きながらも、ルカシェンコ氏は一定の支持を得る狙いで生活必需品の価格を抑えて、国民を食べさせようとしてきたのだ。

監視が徹底した警察国家

 一方で、ベラルーシはソ連から負の遺産も引き継いでいた。それは政権の維持のためならば、平気で市民生活を抑圧する警察国家の顔である。先に「ミンスクではすぐにタクシーが配車される」と記したが、これが何を意味するのか、お分かりだろうか。…

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大前仁

外信部副部長

1969年生まれ。2008~13年、18~20年にモスクワ支局勤務。現在は旧ソ連諸国や米国の情勢、日露関係を担当。