私権制限への感覚が鈍くなっていないか

山田健太・専修大学文学部ジャーナリズム学科教授(言論法)
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党首討論で資料を手にする菅義偉首相=国会内で2021年6月9日、梅村直承撮影
党首討論で資料を手にする菅義偉首相=国会内で2021年6月9日、梅村直承撮影

国民にわびたメルケル首相

 ロックダウンで私権制限を実施するのに際し、ドイツのメルケル首相は「みなさんの大切な自由や権利を、少しの間だけ私たち(政府)に預けてほしい。ただしこれは一時的なものに過ぎない」という趣旨の発言をし、国民に対し移動の自由などの市民的自由を制限することに対し、理解を求めた。

 これは、少なくとも第二次世界大戦後のリベラルデモクラシーを標ぼうする社会において、国家が行ってはならないことを例外的に行わざるをえないことに対する、忸怩(じくじ)たる思い、ある種のおわびにも聞こえた。

 そして先日、こうした権利制限を解除するにあたりメルケル首相は「皆さんの大切な自由や権利をお返しする」という趣旨を述べた。

だらだら続く制限措置

 これが民主主義社会のあるべき一つの姿であり、政府がとるべき姿勢ではなかろうか。翻って日本はどうか。すでに多く指摘されているように、「なんとなく」「だらだら」続く制限措置は東京の場合、今年2021年に入ってからでいえば、半年のうちの約9割を占める状況だ(五輪期間まで、さらにまん延防止等重点措置が続くとの見方も強い)。

 この間、菅義偉首相もしくは小池百合子東京都知事からは確かに、「ご不便をおかけしている国民(都民)には申し訳ない」などのおわびが繰り返しなされているが、自由や権利を公権力が強制的に奪っているという認識に基づく発言は一度もなかったと理…

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山田健太

専修大学文学部ジャーナリズム学科教授(言論法)

1959年生まれ。世田谷区情報公開・個人情報保護審議会会長、日本ペンクラブ副会長、情報公開クリアリングハウス理事、放送批評懇談会理事、自由人権協会理事など。近著に『法とジャーナリズム 第4版』(勁草書房)。