法とジャーナリズムの境目

山田健太・専修大学文学部ジャーナリズム学科教授(言論法)
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東京都に緊急事態宣言を発令後、記者会見する菅義偉首相(奥左)=首相官邸で2021年7月8日、竹内幹撮影
東京都に緊急事態宣言を発令後、記者会見する菅義偉首相(奥左)=首相官邸で2021年7月8日、竹内幹撮影

 北海道で取材中の記者が捕まった。沖縄では自然保護を訴える研究者の自宅が家宅捜索された。そして東京では、政府の情報システムの不備を指摘した新聞社が抗議を受けるなどの事態が相次ぐ。いずれもニュースにはなり、狭いサークル内では大きな議論を呼んでいるものの、広く社会的関心を呼ぶこともなく「前例」として積み重なっているのが現実だ。

プレスの役割についての社会的合意の変容

 むしろネット民からは、捕まって当然とか、不備を書くことは犯罪を誘発してけしからん、といったメディア批判が渦巻いている実態すらある。その結果、私たちの表現の自由の可動域は徐々に、そして確実に狭まっている。

 こうした状況の根底には、プレス(言論報道機関)の役割についての社会的合意の変容が起きていることを否定しえない。前提は、民主主義社会を維持するにはジャーナリズム活動が不可欠ということだ。記者の社会的役割を十全に果たせるような仕組みとして、一般的な表現の自由の行使に、法的あるいは倫理上で少しだけ上乗せしてきたわけだ。

 たとえば、国も民間企業も、個人情報をこっそり収集することは固く禁じられているが、ジャーナリストは不正を暴くためにはむしろ本人には無許諾で情報を収集する。これは個人情報保護法の適用除外として明示的に許されている。日本はこうした「特別扱い」が他国と比べても多い国だ。

 裁判所の傍聴席には、記者用の席が別枠で用意されていたりもする(判決文も一般には非公開だが、取材記者だけに特別に配布されている)。これは法律の定めではないものの、社会慣習的にジャーナリストに対し取材の便宜が図られている例だ。これらは情報にアクセスしやすくする仕掛けだが、同じ文脈で形式的には法に反することがジャーナリストの仕事として正当化される場合も少なくない。

 そもそも、事件・事故を報じること自体、報じられた側からすると名誉やプライバシーを侵される場合が多いだろうし、政治家や官僚から情報を聞き出す行為も、公務員法の情報漏えいに該当する方がむしろ一般的だ。しかしこれらは、公共性・公益性から犯罪として罰しないとされているし、市民の知る権利に応える真っとうなジャーナリズム活動といえるだろう。

 さらに、「いま起きていることを、いま伝える」ためには、一歩でも現場に近づくことが必要だ。紛争地に行かなければ戦争の実態は分からないし、地震や津波の被災地には誰かが、そこに行き伝えることによって、はじめて多くの人がその現実を知ることになる。時には、入ってはいけないと制止される場所に行かなくては事実が確認できないことも少なくない。…

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山田健太

専修大学文学部ジャーナリズム学科教授(言論法)

1959年生まれ。世田谷区情報公開・個人情報保護審議会会長、日本ペンクラブ副会長、情報公開クリアリングハウス理事、放送批評懇談会理事、自由人権協会理事など。近著に『法とジャーナリズム 第4版』(勁草書房)。