
ドイツの首都ベルリンは今も昔もスパイの街だ。ドイツ、そしてベルリン自体が東西に分断されていた冷戦期、この街は東西両陣営による情報戦の最前線だったが、統一後も実態は変わっていない。今回はベルリン支局に赴任していた2011~15年に見聞きしたスパイの物語の一端を紹介したい。
目撃者はカバかペンギンか
「ベルリンの『動物園駅』で待て。それが私への指示でした」。11年10月、ドイツ国内で取材に応じた韓国人の男性はそう振り返った。この男性は冷戦期の1980年代、留学先の旧西ドイツで北朝鮮の工作員から勧誘を受け、北朝鮮側のスパイとなった経験を持つ。当時、工作員との接触場所に使われたのが、旧西ベルリンのターミナル駅だった「動物園駅」だったという。「1人の男が動物園駅で私を出迎えました。その後、近くの森に連れて行かれました。その森にはさらに別の男がいました。男たちは私に対し、北朝鮮のために働くよう勧めてきました」
この駅は文字通りベルリン動物園の最寄り駅だ。かつてホッキョクグマの「クヌート」で有名になった動物園で、在任中、幼い娘を連れて私も何度か訪れた。近くには観光名所の教会もあり、一帯は今もにぎやかな繁華街である。
「実は混雑する場所というのは、逆に秘密の接触に適しているのですよ」。在独の西側外交官にそう言われたことがある。なるほど。英国の推理作家チェスタートンは「賢者が木の葉を隠すのはどこか。森の中です」(「ブラウン神父の無垢<むく>なる事件簿」田口俊樹訳、ハヤカワ文庫)との有名な言葉を残しているが、人も人波に隠れるのが一番だ。
この外交官は続けた。「動物園駅だけではありません。ベルリンでは、実は動物園の『中』も情報機関員の接触に使われるようです」
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