コロナとパラリンピック 医療資源は命を救うために

岩間陽子・政策研究大学院大学教授
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お台場海浜公園の海上に到着したパラリンピックのシンボルマーク「スリー・アギトス」=東京都港区で2021年8月20日(代表撮影)
お台場海浜公園の海上に到着したパラリンピックのシンボルマーク「スリー・アギトス」=東京都港区で2021年8月20日(代表撮影)

 千葉県柏市で、新型コロナウイルスに感染して自宅療養していた30代の妊婦が、体調不良にもかかわらず入院先が見つからず、自宅で出産し、赤ちゃんが死亡したというニュースが伝えられました。赤ちゃんは8カ月だったといいます。このニュースを聞いて、思わず悲鳴を上げてうずくまりました。今、ご家族のお気持ちを考えると、言葉もありません。

 私には流産経験があります。そのうち1回は、気持ちの整理のつかないままに搔爬(そうは)に至りました。毎日新聞の書評の中で、そのことにふれたことがあります<岩間陽子・評 『代理母、はじめました』=垣谷美雨・著>。まだ心拍も確認できない、妊娠のごく初期段階での流産でした。それでも、30年近くたった今でも、「本当にあの子には、生まれてくるチャンスはなかったのだろうか」という思いが、頭をよぎる瞬間があります。ましてや、もうこの世に生まれてくる準備がほぼできていた子どもを失ったことは、どれほどの傷を、その方とその周囲の方々に残すことでしょうか。

黙っているべきではない

 私は感染症の専門家でも、医療行政の専門家でもありません。でも、8カ月の赤ちゃんの命が失われたと聞いて、やはり黙っているべき時ではないと感じました。妊娠していた女性や赤ちゃんの健康状態についての、詳しい情報はありませんが、一般論として8カ月まで健康に育った赤ちゃんであれば、日本の医療をもってすれば、十分救える可能性はあったはずです。それが、医療にたどり着くこともなく、何度助けを求めても得られず、自宅で、一人で出産し、赤ちゃんが死亡するというようなことが、今の日本であっていいことなのでしょうか。一体いつから私たちは、こんなにも命をないがしろにする社会になってしまったのでしょうか。

 その昔、ダッカ日航機ハイジャック事件(1977年)が起きたとき、時の福田赳夫首相は、「人の生命は地球より重い」と言い、服役中のメンバー釈放や身代金の支払いに応じました。この事件は、しばしば日本政府がテロに対して弱腰であることの事例として、危機管理の専門家によって引かれます。このところ、なぜかあの言葉を思い出します。苦渋の決断の瞬間に、この言葉を口にした福田首相に今の私は、敬意を覚えます。少なくとも彼は、命の重みを必死に考えて、自らの責任で決断を下した。翻って今の日本では、どうしてこれほどまでに人の命の価値が低いのでしょうか。

医療資源は国民の命を救うために

 血中酸素飽和度が90%を下るという体験を、私自身はしたことがありません。しかし、自分の子どもが小さいころ、ぜんそくを患っており、それは即座に救急車で搬送されるべき値であると認識しています。今、毎日、このような状態で、入院が必要でも入院先が見つからず、自宅療養を強いられている人が多数いると報道されています。たまりかねた専門家、医師会、多くの医療関係者が、直訴しているのに政府の動きは鈍いままです。

 その状況下でパラリンピックを開催するといいます。そこで毎日行われるPCR検査、待機する医療関係者、その他パラリンピックのために集められる資源は、どう考えても他で国民の命を救うために用いられるべきものではないのでしょうか。オリンピック開催にも、私は反対でした。しかし、あの時点ではまだ、「バブル方式」がうまく機能して、感染拡大を招かずにオリ…

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岩間陽子

政策研究大学院大学教授

 京都大学法学部卒、同大学院博士後期課程修了。京都大学博士。在ドイツ日本国大使館専門調査員などを経て、2000年政策研究大学院大学助教授。09年同教授。専門は国際政治学、欧州外交史、安全保障。著書に、「核の一九六八年体制と西ドイツ」(有斐閣、21年)、「ドイツ再軍備」(中央公論社、1993年)など。