菅首相退陣を招いた横浜市長選の勝因と教訓

江田憲司・衆院議員
横浜市長選で当選した山中竹春氏(右)を紹介する江田憲司氏=2021年6月29日撮影、江田憲司事務所提供
横浜市長選で当選した山中竹春氏(右)を紹介する江田憲司氏=2021年6月29日撮影、江田憲司事務所提供

菅首相の選挙区でも完勝

 8月22日投開票の横浜市長選で、立憲民主党が推薦した無所属候補、山中竹春氏が当選した。横浜に長年、支持基盤があり、現職閣僚を辞してまで立候補した小此木八郎氏に18万票もの大差をつける圧勝だった。

 くしくもこの日は、さかのぼること2年前、林文子横浜市長(当時)が、白紙としていた前言を翻し、突然、横浜へのカジノ(IR)誘致を表明した日だった。しかし、この勝利で、菅義偉首相が主導してきた横浜への誘致は、完全についえることとなったのである。

 当初は、8人もの候補者乱立で、誰一人、法定得票数(有効投票数の4分の1)を超えることができずに再選挙となることもありうると取りざたされた選挙戦だった。しかし、結果は、山中氏の得票率は3分の1。しかも、横浜市18行政区すべてで勝つ完全制覇とまではいかなかったものの、落としたのは小此木氏の衆院議員時代の選挙区、鶴見区ただ一つ、それも僅差(約1500票差)での負けだった。

 その小此木氏を全面支援した菅首相の選挙区(西区・南区・港南区)でも小此木氏の得票は山中氏の得票の約7割(票数では約2万票差)だった。山中氏の擁立に関わった私にとっても、想定以上の勝利だった。

勝因分析①……「自民分裂」の結果ではない!

 しかし、この圧勝の理由を、一部メディアが報じているような、「自民党の分裂」に求めるのは誤りだ。

 まず、たしかに、自民党は小此木氏と林氏に分裂したが、そんなことを言えば、非与党系候補は、分裂どころか、四分五裂の状況だった。そして、その非与党系5人の候補の中には、山中氏よりはるかに知名度の高い候補も複数出ていた。自民党が多選、高齢などの理由で支援しないと通告した林氏が出たのとは比較にならないほどに、「分裂」していたのだ。

 また、よく、与党系の小此木、林両氏の得票を合わせた数が、山中氏のそれを上回ったことを指摘する向きもあるが、そんなことを言えば、市長選直前に立憲民主党を離党した候補の得票を山中氏のそれと合わせれば、両者の得票を上回る。

 そう、そもそもそんな「結果論」、自民党が分裂しなかったら、といった「たられば」論は、選挙戦では意味をなさないのだ。

 あくまで、出そろった候補者の中でいかに勝ち抜くか、それが選挙戦略、戦術というものなのだから。…

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衆院議員

1956年生まれ。通商産業省、橋本龍太郎首相秘書官などを経て2002年衆院初当選。みんなの党幹事長、結いの党代表、維新の党代表、民進党代表代行、立憲民主党代表代行などを歴任。衆院神奈川8区、当選7回。