
広島への原爆投下直後に降った「黒い雨」による健康被害を巡り、原告の住民全員を被爆者と認めた広島高裁判決について国が上告を断念した。本当に良かったと思う。
ハンセン病隔離政策を巡る訴訟でも、あるいはさかのぼって言えば水俣病訴訟でも同じだが、国民が長く苦しんできたことについて国がいつまでも訴訟で争うのは良くないと考えている。
一人一人の事情がある
広島に原爆が落ちたのはもう70年以上前だ。行政は「科学的知見を」と言うが、そもそも難しい状況があることを理解していない。国が定めた援護対象区域の外であっても黒い雨を浴びた人は間違いなく被爆者なのだから、救済すべきだ。
これまでの認定のやり方にもおかしい点がある。「証人、目撃者がいなくてはならない」という点だ。当然のことだが、爆心地に近づけば近づくほど生存者は減る。生き残ったのは自分だけだということはあるにもかかわらず、証人を求められる。
忘れられているのは差別の問題だ。親が自分の子を背負って小学校に行き、原爆被害者の救護所で働いた。夜通し看病した。そのことを親は確かに知っていたが、ずっと黙っていて誰にも言わなかった。
親が子どもに対してさえ、被爆したことを隠す。子どもに言えば被爆したことがばれてしまうからだ。それほど差別されてきた。「原爆に遭ったのだから申し出ればいい」というような自由な世界ではなかった。
じわっとくるような、プレッシャーを抱えながら、長い戦後を生きてきた。親であれば証人になれる、でももう親は死去している。
そういうことを一切考えないで、とにかく1人証人がいる、でなければ絶対にダメだというやり方はそもそもおかしい。
一人の人間が命がけで10年も15年も訴訟で闘うことはウソではできない。ウソを言って被爆したと主張しているなどということはありはしない。生きている被爆者の数はもう少ない。一人でも多く救済しなければならない。
「科学的知見」にこだわるべきではない
菅義偉首相は上告断念を表明した際の首相談話で「『黒い雨』や飲食物の摂取による内部被曝(ひばく)の健康影響を、科学的な線量推計によらず、広く認めるべきとした点については、これまでの被爆者援護制度の考え方と相容れないものであり、政府としては容認できるものではありません」とした。
しかし、70年以上前の話を現在の科学的知見の水準にあてはめてどうこうすることには、どだい無理がある。非現実的だ。影響を受けたと思われるところは「科学的知見」などと言わずに、どんどん認めていくべきだ。…
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平口洋
衆院議員
1948年生まれ。建設省職員、秋田県警本部長、国土交通省河川局次長などを経て2005年衆院選で初当選。副環境相、副法務相などを歴任。自民党国土交通部会長。衆院広島2区、当選4回。自民党竹下派。