櫻田淳さんのよびかけ

<ご意見募集>911から20年 米国と歩んだ日本は「テロとの戦い」を共有できるか

櫻田淳・東洋学園大教授
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櫻田淳氏=根岸基弘撮影
櫻田淳氏=根岸基弘撮影

 此度(このたび)、筆者が募ろうとするのは、西川恵記者の記事<繰り返されたカブール撤退 30余年でなにが変わったか>をたたき台にして、アフガニスタン情勢の現状について読者各位が抱いている所見である。

米国民は撤退を支持

 アフガニスタンの反政府勢力タリバンによって、首都カブールが陥落した風景は、1975年のベトナム戦争終結時の「サイゴン陥落」を思い起こさせる風景を出現させている。2001年9月11日の「セプテンバー・イレヴン」以降、米国が続けてきた努力が実質上、水泡に帰したことには、既にさまざまな論評が加えられている。

 『ワシントン・ポスト』紙と米国ABCの共同世論調査(9月初頭実施)の結果によれば、バイデンのアフガニスタン撤退判断それ自体には、実に8割に迫る米国国民が支持を与えている。アフガニスタン撤退に際してジョセフ・R・バイデン(米国大統領)が披露した手腕には、5割強の層が不満を漏らしているとはいえ、全体としては、米国がアフガニスタンから手を引くことには、広範な支持が集まっているようである。

日本はタリバン政権とどう向き合う

 これを米国の「利己性」の表れとして評するのは、簡単である。日本として、これを機に考えなければならないのは、次の二つの点であると思われる。まず、今後のアフガニスタンにおいてタリバンが主導する政権が樹立されたとして、そのタリバン主導政権にどのように向き合うかということである。

 民主主義という「植物」が相応の社会「土壌」を持つ国々にしか根付かないという公理に従えば、アフガニスタンに民主主義体制を築こうとした米国の努力は、そもそも誤っていたという評価になる。

 今後、そうした米国の過去20年の努力に呼応した日本の対応は、折々に検証されるべきであろうけれども、そもそも今後のタリバン政権にも、日本は米国や北大西洋条約機構(NATO)諸国に踵(きびす)を接した対応を採るのであろうか。

日本は内向きになっていないか

 次に、そうした政治体制への評価を離れて、アフガニスタンの民生向上に尽力し落命した中村哲(医師)の努力は、それ自体が高邁(こうまい)な篤志の表れとして称賛されるべきものであるけれども、中村が示したような篤志を引き継いでいく合意は、日本社会にあって出来上がっているであろうか。

 兎角(とかく)、内向き志向が強くなってきた日本社会において、アフガニスタンのような国々に関わろうとすることは、日本の国際関与の姿勢の現状を占うものになるはずである。

切迫性は共有しているか

 米国のアフガニスタン撤退は、20年前の「セプテンバー・イレヴン」に始まった国際政治潮流における一つの「転換点」である。パンデミックの最中、菅義偉首相の退陣という「政変」が重なった現状では、アフガニスタン情勢は、日本の大方にとっては関心を寄せ難い話題であるかもしれない。

 「セプテンバー・イレヴン」以降、日本は、米国主導の「テロとの戦い」に呼応した対応を採ってきたけれども、それには、どれだけの切迫性が伴っていたのか。

 少なくとも1990年代以降、オウム真理教事件が国内を震撼(しんかん)させた唯一のテロ事案であった日本にとっては、「セプテンバー・イレヴン」の衝撃を受けた米国、あるいは移民社会を背景にした「ホーム・グロウン・テロ」の頻発に揺れたフランスにおける「テロとの戦い」への切迫性は、実際のところは共有できるものではないかもしれない。

911以降の日本は

 ただし、そうした事情にもかかわらず、日本の人々には、アフガニスタン情勢に関心を寄せる意味は、あると思われる。それは、過去20年の歩みをどのように評価するかという「歴史感覚」を問うものであるからである。読者各位から深い考察に基いた所見が寄せられることを期待する。

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櫻田淳

東洋学園大教授

1965年生まれ。専門は国際政治学、安全保障。衆院議員政策担当秘書の経験もある。著書に「国家の役割とは何か」「『常識』としての保守主義」など。フェイスブックでも時事問題についての寸評を発信。