
ベルリンの壁が崩れ、米ソ両国が冷戦終結を宣言し、ルーマニアではデモの激化からチャウシェスク大統領夫妻の処刑まで一気に事態が進んだ1989年。当時27歳だった英国人のマイケル・ハロルドさん(59)は、平壌にいた。
金日成国家主席をはじめとする北朝鮮指導部の重要演説や文章の英文校正のために招かれた「雇われ外国人」だったハロルドさんは、英BBCや日本のNHK英語放送を聞くことができる短波ラジオを持っていた。国際ニュースの流入が制限された平壌で、ハロルドさんの周りには、ニュースに飢えた北朝鮮の若い知識人が集まった。
あれから32年。東欧は民主化し、ソ連はなくなり、中国も経済システムや世界との結びつきという点で89年当時とは全く違う国になっている。しかし、北朝鮮の経済・社会システムに劇的な変化はなく、住民たちの暮らしぶりにも目立った向上はみられない。なぜ何も変わらなかったのか。1987年から94年まで約7年間を平壌で過ごし、今は北京在住のハロルドさんと共に当時を振り返りながら考えてみた。
チャウシェスク政権を巡る「賭け」
1989年の夏、ハロルドさんは夏休みを英国で過ごした後、平壌に戻った。北朝鮮の国営放送も国際情勢を伝えないわけではないが、圧倒的に少なく、かつ遅かった。
英国では毎日トップニュースとして報じられていた東欧の動きから隔絶された「まっ暗闇」の中で、ハロルドさんは平壌の外貨ショップで購入した短波ラジオにかじりついた。北朝鮮では、ラジオやテレビは外国の放送を聞けないようにチャンネルが固定されていたが、外国人用だったためか、このラジオのチャンネルは固定されず外国放送が聞けた。
「BBCは気象条件が悪いと聞こえず、アンテナの方向をあちこち工夫したりして苦労した。NHKの英語放送はもう少し聞きやすかった。お気に入りのアナウンサーもいたよ」とハロルドさんは振り返る。
ハロルドさんが勤務する国営出版社には、当然だが北朝鮮の同僚も多く働いていた。ハロルドさんがBBCを聞いているといううわさはじわりと広がった。何が起きているのかとハロルドさんに聞きに来る人が増え、信頼関係のできた同僚とは一緒にラジオを聞くこともあった。ハロルドさんのような外国人と接点がある時点で、北朝鮮では特別な地位にある人たちだと言えるが、それでもリスクを伴う行動だっただろう。
「東欧革命」がルーマニアに飛び火し、金日成主席とも関係が緊密だったチャウシェスク大統領への住民たちの不満が爆発した1989年12月、ハロルドさんたちは同僚たちと賭けをした。同僚にはソ連や米国の人もいた。
「チャウシェスク政権は生き延びるか」
北朝鮮、ソ連の同僚たち、そしてハロルドさんは「生き延びる」に賭けた。すでにハンガリーもポーランドも民主化の嵐にのみ込まれていたが、北朝鮮の同僚たちの確信は揺るいでいなかった。
政権崩壊に賭けたのは米国人同僚だけだった。…
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米村耕一
中国総局長
1998年入社。政治部、中国総局(北京)、ソウル支局長、外信部副部長などを経て、2020年6月から中国総局長。著書に「北朝鮮・絶対秘密文書 体制を脅かす『悪党』たち」。