不思議の朝鮮半島

「丸刈り」抗議の韓国の記者と考えた「世界に類を見ない悪法」

坂口裕彦・ソウル支局長
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言論仲裁法改正に反対して断髪したKBS記者で労組委員長の許成権さん=ソウル市内で9月14日、坂口裕彦撮影
言論仲裁法改正に反対して断髪したKBS記者で労組委員長の許成権さん=ソウル市内で9月14日、坂口裕彦撮影

 自分が丸坊主頭となるところを公開するなんて、よほどの度胸がないとできないことだ。韓国国会前で8月19日、言論弾圧につながりかねない法改正に抗議するために「断髪式」を行った記者がいる。そう耳にした時、真っ先に思ったのは、このことだった。

 しかも記者の勤務先は、日本のNHK(日本放送協会)と同じく、視聴者の受信料収入に支えられたお堅いイメージの公共放送KBS(韓国放送公社)。なぜ、そんなに熱くなっているのか。

 その当人、許成権(ホ・ソンゴン)記者(43)が9月14日、こちらの取材を受けるべく、毎日新聞ソウル支局へリュックサックを背負ってやってきた。丸眼鏡に、がっちりした体格。「新聞社からの転職組で、社会部畑が長い」などと自らの経歴もあっさり話してくれる。飾らない人柄らしい。現在はKBS労組委員長の肩書もある。

 「断髪して良かった」

 断髪式から1カ月弱。当時の名残がある頭をさすりながら、その理由を語り始めた。「世界に類を見ない悪法が成立すれば、この国の言論の自由がどこまでも侵害されてしまう。(断髪式を通じて)そんな強いメッセージを世の中に伝えることができたからです。KBSでは記者だけではなく、アナウンサーや技術職の人たちまでが、抗議活動の輪に加わってくれている。さらに多くの市民や政治家、メディアの仲間が結集して今、文在寅政権の前に立ちはだかっている」

 世界に類を見ない悪法――。許さんがここまで言い切るのは、文政権を支える進歩系の与党「共に民主党」が、国会での可決・成立を目指している「言論仲裁法」の改正案のことだ。

国内外から起きた強い批判

 許さんに取材を申し込んだのは、彼の支局訪問の5日前、韓国プレスセンターで開かれたKBS労組主催のシンポジウムに足を運んだのがきっかけだった。その時のあいさつが、なかなか振るっていたのだ。

 「フェイク(偽)ニュースは、もちろん無くさなければならない。でも、自由民主主義の原則に真っ向から挑戦するこの悪法を許してしまえば、韓国のジャーナリズムは根っこから崩れてしまう。先人たちが苦労して手に入れた言論の自由を一緒に守ろうではないですか」

 許さんの発言は、共に民主党が「フェイクニュースなどで生じる国民の被害を救済するためだ」として言論仲裁法の改正の必要性を強調していることを受けたものだ。

 改正案はどういうものなのか。

 最大の特徴は、故意や重大な過失によって個人や団体の名誉を毀損(きそん)した報道機関に対する懲罰的な措置を盛り込んだことだ。報道機関が記事を訂正する場合には▽最初に報道した時と同じ分量で対応しなければならない▽財産上の被害を受けたり、人格権の侵害や精神的な苦痛を受けたりした個人や団体は、報道機関に対して被害額の最大5倍の賠償を求めることができる――などの条文を付け加えている。

 しかも、何をもって故意や重大な過失となるのかの規定があいまいなので、時の政権が恣意(しい)的な運用をする可能性が否定できない。となると、報道機関は大きな訴訟リスクを抱えるだけでなく、萎縮して政権に批判的な報道を控える恐れがある。韓国に来て半年しかたっていない私から見ても容易に想像できる。

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坂口裕彦

ソウル支局長

1998年入社。山口、阪神支局に勤務し、2005年に政治部。外信部、ウィーン支局、政治部と外信部のデスクなどを経て、21年4月から現職。19年10月から日韓文化交流基金のフェローシップで、韓国に5カ月間滞在した。著書に「ルポ難民追跡 バルカンルートを行く」(岩波新書)。