続クトゥーゾフの窓から

母国に戻り逮捕された元大統領「有能な指導者」と「野心家」という二つの顔

大前仁・外信部副部長
  • 文字
  • 印刷
2008年8月、トビリシでの集会で演説するジョージア(グルジア)のサーカシビリ大統領=AP
2008年8月、トビリシでの集会で演説するジョージア(グルジア)のサーカシビリ大統領=AP

 旧ソ連のジョージア(グルジア)政府から指名手配されていながらも帰国したサーカシビリ元大統領が逮捕されたニュースが報じられた。大統領時代の2008年にロシアとの武力衝突を起こしたことで国際的に知られたが、近年は「お騒がせの政治家」の側面が目立つ。関係者に話を聞くと、「有能な指導者」と「並外れた野心家」という二つの顔が見えてくる。ジョージアが置かれた国際環境をなぞりながら、この政治家の半生を追ってみる。

 サーカシビリ氏の半生は起伏に富んでいる。03年、当時のシェワルナゼ大統領(故人)を辞任に追い込む抗議活動(バラ革命)を主導し、04年に大統領に就任。親欧米路線を掲げ、08年にはジョージアからの独立を主張する南オセチアに軍事介入した結果、後ろ盾となるロシアと武力衝突を起こした。当初は高い人気に支えられたが、次第に強権姿勢を取るようになり、支持を失っていった。退任後の13年、訴追を恐れてウクライナに事実上亡命し、当時のポロシェンコ政権からウクライナ国籍を与えられて、南部オデッサ州の知事に就く。ポロシェンコ大統領と仲たがいして国籍を剥奪されたが、後任のゼレンスキー大統領に請われて、ウクライナ政府の要職に戻った。

 サーカシビリ氏は10月1日、ひそかにジョージアに戻ったとソーシャルメディアで明かした。ジョージアの地方選で野党を応援するという理由で、母国に戻るのは8年ぶり。だがジョージアの裁判所は被告人不在のまま職権乱用罪でサーカシビリ氏に有罪を言い渡しており、当局に拘束された。サーカシビリ氏は、こうした出来事が起きる度に、報道陣の前で自らの存在をアピールすることが多かった。

州の行政を変えた手腕

 理解に苦しむ行動が多いが、サーカシビリ氏がオデッサ州知事時代にその下で働いたロマン・コズロフスキーさんは「間違いなく有能な政治家だった」と話す。無駄な職員を削減する一方で、優れた人材を集め、幹線道路の新設などのインフラ整備に取り組んだ。一方でお膝元のオデッサ市の市長と度々衝突していたし、新たなプロジェクトを考え出しても、すぐに関心を失うことが多かったという。結局のところ「サーカシビリ氏は自分のPRばかりを考えていたのではないか」と、コズロフスキーさんは指摘する。

 この評価はジョージア大統領の時代にも当てはまる。前任のシェワルナゼ氏は崩壊前のソ連で外相を務めた。大統領時代、一族が関与したといわれる汚職のひどさが国民の反感を買っていた。04年に大統領に就いたサーカシビリ氏は汚職撲滅やビジネス環境の整備を進めた点が評価されている。一方で強権的な統治と反対派に対する弾圧を続けたことが、後に有罪判決を受ける原因となった。

ロシアとの複雑な関係

 サーカシビリ氏とジョージアを語るうえで避けられないのがロシアとの関係である。1…

この記事は有料記事です。

残り1738文字(全文2902文字)

大前仁

外信部副部長

1969年生まれ。2008~13年、18~20年にモスクワ支局勤務。現在は旧ソ連諸国や米国の情勢、日露関係を担当。