
岸田文雄政権が本格始動し、にわかに脚光を浴びている外交テーマがある。日本の人権外交だ。9月の自民党総裁選で、岸田氏は中国新疆ウイグル自治区などでの人権侵害を念頭に人権担当の首相補佐官新設を表明し、中谷元・元防衛相を起用した。
総裁選の際、国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」などは岸田氏ら4候補に対し、人権外交に関するアンケートを実施した。岸田氏は、人権侵害を犯した人物への資産凍結などを可能にする人権侵害制裁法を支持する回答をした<「人権侵害制裁法」の導入を>。また、中谷氏は制裁法整備に向け、超党派の議員連盟で共同会長として議論を主導してきた。
ハト派のイメージが定着している岸田氏が今後どのような人権外交を展開するのか、海外からも注目が集まっている。
日本はこれまで、人権外交を前面に掲げた歴史はなかったと言っていい。消極的だった理由や、今、取り組むべき課題は何か。国際政治学者の遠藤乾・北海道大公共政策大学院教授へのインタビューを通じて考えた。
平和主義より根付かなかった人権意識
――ウイグル問題をめぐり、日本は主要7カ国(G7)で唯一、中国への制裁を発動していません。元来、欧米と比べると人権外交が脆弱(ぜいじゃく)だと言われます。なぜでしょうか。
◆人権は、さまざまな価値の中の一つなんですね。平和や和解、独立など、外交上重要な価値がさまざまある中で、人権を持ち出すと他の価値を阻害すると考えている人もいます。例えば、北朝鮮との国交正常化を目指す場合、北朝鮮による人権侵害問題は二の次だという議論があります。
戦後の日本において、平和主義は根付いたけれども、人権という価値は平和ほど根付かなかったように思います。戦前は人権侵害大国だったわけですが、戦後も含めて日本は歴史上、人権問題について真剣に取り組んだことはなかったのではないでしょうか。
人権問題より経済発展を重視してきた側面もあるのでしょう。経済界には、ビジネスにマイナスになることを押し付けられたくないという考え方も強かったと思います。
外務省は今夏、人権外交についてどのような形で取り組むか真剣に検討に入ったと聞いています。やるなら本腰を入れてやる、やらないならやらないと。ただ、人権という価値だけを突出させて外交をやるわけにはいかないというのが、外務省の基本的なスタンスだと思います。
――国会では今年に入り、超党派の議連や自民党の外交部会が人権侵害を理由に制裁をかける法案の検討を始めましたが、具体化に至っていません。
◆法を制定しても、発動要件を段階的にしておけば手が縛られることはないでしょうし、外交当局は対外的に説明できるはずです。ただ、人権を理由に外国に制裁を加えることについて、日本は世論を含めて依然として慎重なのでしょう。
――外国に向けて人権尊重を訴えると、日本国内の人権問題を指摘される「ブーメラン」になりかねないという指摘もあります。
◆国内に問題があるというのは、まったくその通りです。だからといって、外に向けて何も言わない理由にはなりません。米国も、「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大事だ、BLM)」運動が起きたように、恥ずべき問題はあるわけです。内か外かという二分法ではなく、外に向けて大事なものは大事だと言い、自分たちも律していけば良いと思います。
このように日本が欧米より消極的なのは確かですが、米国も歴史的に見れば結構場当たり的な対応をしてきています。
米国も場当たり的
――場当たり的とはどのような対応ですか?
◆例えば冷戦時代、人権問題についてソ連に対しては非常に厳しく批判する一方で、中国には目をつぶって甘やかしてきました。米国史において最も人権外交で名高いといわれるカーター政権(1977~81年)も、最初は人権問題を前面に掲げていましたが、すぐに折れてしまいました(筆者注・79年に米中国交正常化)。今回のアフガニスタンからの撤退でも、20年かけて培ってきた女性の権利向上の問題などは、ガラガラと崩れてしまいました。人権外交というのは非常に難しいトピックで、200もの主権国家の併存のもとで実践するのが根源的に難しいということもあると思います。
――根源的難しさとは。
◆人権は普遍的な理念ですが、普遍的な担い手は地球上に存在しません。結局、基本的には国家単位で守るというのが建前です。ルワンダの大量虐殺(筆者注・94年に発生。国際社会は消極的対応に終始した)などを経て、国家が国民の人権を保護する責任を放棄した場合、外国がこれに介入できるという人道的介入論につながっていきました。しかし、その担い手は米国など一部の特定国家に偏っています。しかも、イラク戦争によってその大義が失われ、世界の警察官としての米国の力も失われています。
中国から見れば対中けん制の道具
――人権重視のバイデン政権が発足して約10カ月がたちました。どう評価しますか。
◆前政権のトランプ氏があまりにも人権を無視していたので、表面上は人権問題を重視する従来の米国に戻ったと思います。ただ細部を見ていくと、人権だけでは説明のつかない動きもしていますね。
アフガンもそうですし、共産党一党支配のベトナムとの外交関係を重視したり、北朝鮮の人権問題にも本気で取り組んでいるようには見えません。元々難しいトピックではありますが、デコボコさが目立ちます。やはり、中国への対決ムードが先行しているのではないでしょうか。
――対中けん制として人権問題を利用している側面が強い、ということですね。
◆実際にバイデン政権が人権を最重視している部分はあると思いま…
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