記者コラム ウェストエンドから フォロー

インド洋での大国の覇権争いと、その影

服部正法・欧州総局長
オーカスの創設を発表する(左から)ジョンソン英首相、モリソン豪首相、バイデン米大統領=オーストラリアの首都キャンベルで2021年9月16日、AP
オーカスの創設を発表する(左から)ジョンソン英首相、モリソン豪首相、バイデン米大統領=オーストラリアの首都キャンベルで2021年9月16日、AP

 安倍政権が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」戦略によって、「インド太平洋」という概念は、すっかり世界に定着した。米国のバイデン政権は対中国戦略の要として「インド太平洋調整官」というポストを新設、英国、欧州連合(EU)なども独自の戦略や関与方針を打ち出す対象地域となった。

 日本の置かれた位置と中国をにらんだ地政学的な意味合いが注目されるため、我々日本人は「インド太平洋」を論じる際、「太平洋」を重視しがちで、一方の「インド洋」を軽視する傾向はないだろうか。

 そのインド洋では、南シナ海や東シナ海と同様、大国間のヘゲモニー(覇権)争いが過去から現在まで続いており、その陰で犠牲となっている人たちもいる。「海のグレートゲーム」の状況と、それに翻弄(ほんろう)される人々の実情を探った。

英国の撤退とチャゴス諸島の米国への租借

 まず、時代を遡ってインド洋の覇権争いを語りたい。

 第二次大戦以前のインド洋では、最盛期に比べれば衰えたとはいえ、大英帝国が依然、優位を誇っていた。大英帝国はインド洋を囲むアフリカ、南アジア、東南アジアに多くの植民地を有し、強大な海軍力を保持していたからである。

 しかし、第二次大戦で勝利を収めたものの、大きく疲弊した大英帝国は大戦後、その覇権を維持する力を失った。戦後、植民地を次々手放し、「帝国」から「英国」へとダウンサイジングしていく。

 一方で、ソ連を「盟主」とする共産圏が世界各地で勢力を拡大。にらみを利かせてきた英軍の撤退はパワーの真空地帯を生み、ひいてはソ連の影響力を呼び込みかねない。そこで英国はヘゲモニーを自由主義国側の雄で、英国と「特別な関係」にある米国に譲り渡す形を取った。それが明確になったのが、1968年の英政府による英軍基地のスエズ以東からの撤収表明だった。

 この表明の3年前、英国はインド洋での米国の覇権を助けるため、大きな動きに出た。

 英国は65年、英国からの独立機運が高まっていたインド洋のモーリシャスから、チャゴス諸島と呼ばれる島々を購入して切り離し、周辺の他の島々と合わせて英領インド洋地域という領土を新たに設けた。

 チャゴス諸島は約60の島々からなり、インド南端の南方約1500キロ、モーリシャスの北東約2000キロに位置する。最大の島はディエゴガルシア島だ。68年に独立を果たすことになるモーリシャスから英国がチャゴス諸島を分離し、自国領にしたのは、ディエゴガルシア島を米軍の基地用地として租借させるのが目的だった。

 英国は66年、ディエゴガルシア島の50年間の貸与で米国と合意。そして、60年代後半から70年代初頭にかけ、チャゴス諸島の住民約2000人をモーリシャスとセーシェルに強制的に移住させた。ディエゴガルシアを基地化するにあたり、米側が「無人島」を求めたための措置だったとされる。

 ディエゴガルシア島はその後、冷戦期にはソ連に対抗する海空の拠点として機能した。ディエゴガルシアという語感に、「なんとなく聞いたことがある」と思う方もいるかもしれない。これは、2001年に始まったアフガニスタン攻撃や03年開戦のイラク戦争で、たびたびこの名前が報じられてきたためだ。ディエゴガルシアは長距離爆撃機の発進基地として、米国の「テロとの戦い」を担う重要な戦略拠点としての役割を果たしてきたのである。

強制移住強いられたチャゴス人

 その陰で、強制移住によってチャゴス人は厳しい境遇を強いられた。私が話を聞いたチャゴス人たちによると、言葉などが近いセーシェルでは比較的、社会への融合が進んだものの、言葉や文化がチャゴス人のそれと大きく異なるモーリシャスでは、社会的な疎外や貧困がとりわけ深刻だったという。

 私は12年2月、セーシェルを取材で訪れた際、セーシェルに移り住んだチャゴス人たちの組織「セーシェル・チャゴス人委員会」のピエール・プロスパー委員長代理(当時)にインタビューした。プロスパー氏はチャゴス人の状況について、大国のパワーゲームの中で「売り飛ばされた」と表現し、移り住んだ先で「多くの人たちが当初は家畜の牛小屋などに住まなければならず、さげすまれて劣等感を抱き、出自を隠さざるを得なかった」と語った。

 強制移住を違法と訴えるチャゴス人は島への帰還を求めて提訴。英高等法院は00年、ディエゴガルシア島を除き、チャゴス人は島々に帰還できるとの判断を下したが、08年になって、当時最高裁に当たる機関だった上院上訴委員会が一転、チャゴス人側の訴えを退けた。

 一方、02年に英国で新たな法が成立したことにより、強制退去させられたチャゴス諸島出身者とその子供には、英本土に居住できる市民権が付与されることになった。これを受けてモーリシャスなどから大勢のチャゴス人が英本土に渡るようになった。

 現在、英本土には約3000人のチャゴス人が住むとされ、その大半は、イングランド南部ウェストサセックス州のクローリーという町で暮らしている。ロンドンの南方約45キロに位置するクローリーを、この8月に訪れてみた。

 街中で出会った女性のジュリー・ボトフォードさん(45)は両親がディエゴガルシア出身で、02年にモーリシャスから英国に移り住んだ。現状について尋ねると、「私の状況は問題ないが、家族が英国とモーリシャスで別れたままの人もいる」という。

 英国が市民権を与えたチャゴス人はチャゴス諸島から強制移住させられた人々と、その子供の世代、つまり「第2世代」までだ。孫の世代に当たる「第3世代」には市民権が自動的に与えられるわけではない。このため、第2世代に当たる親が英国で普通に暮らせても、第3世代に当たるその子供たちは英国で暮らすのに支障が生じることになる。英国で実際に暮らす第3世代の若者らは、成人になるまでになんとか滞在許可を別途取得しないと、国外退去の恐れがある実態について、近年、英メディアも報じている。

 英国に住む多くのチャゴス人がモーリシャスに戻りたくない理由について、以前私がセーシェルで聞いたように、モーリシャスで受ける差別が大きいからかとボトフォードさんに尋ねると「その通りだ」と肯定した。そして、「すべてのチャゴス人の子孫が英国に住むことができる規定を設けるよう、法改正すべきだ」と英政府への要望を、強い口調で私に訴えた。

 別の日、ボトフォードさんと会った場所から近い町の片隅で、歓談するチャゴス人の中年男性らのグループと出会った。しばらく雑談をしていると、グループの男性たちがそばを通りかかった高齢の男性を目に留め、私にこう紹介してくれた。「あの人はプロフェッショナルだ。ディエゴガルシアでプロの漁師だった人なんだ」。敬意のこもった口調でそう言った。

 残念ながらこの老人は英語をほとんど解さない様子だったので、グループの男性の一人が通訳をしてくれた。老人は現在90歳で、03年に英国に移住したという。ディエゴガルシア島への思いを聞いてみると、ぽつりと「話すことなど何もない。すべては終わったことだ」とだけ答えた。その言葉の少なさにかえって、理不尽に故郷を追われた悔しさや無念など万感の思いがこもっているように感じ、返す言葉が浮かばなかった。

この記事は有料記事です。

残り3712文字(全文6667文字)

欧州総局長

1970年生まれ。99年、毎日新聞入社。奈良支局、大阪社会部、大津支局などを経て、2012年4月~16年3月、ヨハネスブルク支局長、アフリカ特派員として49カ国を担当する。19年4月から現職。著書に「ジハード大陸:テロ最前線のアフリカを行く」(白水社)。