オアシスのとんぼ

アルメニア人虐殺と共鳴する米国の慰安婦少女像<記憶の戦争 2>

澤田克己・論説委員
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米ニュージャージー州バーゲン郡の裁判所前で星条旗のポールの周囲に並ぶ「記憶」の記念碑=2013年6月6日、澤田克己撮影
米ニュージャージー州バーゲン郡の裁判所前で星条旗のポールの周囲に並ぶ「記憶」の記念碑=2013年6月6日、澤田克己撮影

 「歴史認識」問題といえば日韓関係と考えがちだが、世界の現実はかなり違う。冷戦終結を機に、「記憶の戦争」とも呼ぶべき歴史認識紛争が世界各地で表面化し始めたのだ。そして別々の事象に関する「記憶」が相互に刺激し合うことが珍しくなくなった。

 米国で慰安婦の記念碑を建てた韓国系団体に取材した8年前のメモを見返すと、ホロコーストやアルメニア人虐殺の「記憶」との相互作用が見えてきた。キーワードは「遠隔地ナショナリズム」だ。当時は気付かなかったリンクを、あらためて考えてみたい。

冷戦終結後に次々と設置されていく記念碑

 さまざまな「記憶」の交錯する植え込みが、米東部ニュージャージー州バーゲン郡の裁判所前にある。ニューヨーク・マンハッタン南部のターミナルから路線バスに乗って北西に1時間ほどの場所だ。

 ここには、星条旗を掲げたポールを取り囲むように5個の記念碑が設置されている。どれも数十センチ四方のプレートが礎石にはめ込まれたものだ。

 設置されているのは、ナチス・ドイツによるユダヤ人のホロコースト(大量虐殺)▽オスマントルコが第一次大戦中にアルメニア人150万人を虐殺したとされるアルメニア人虐殺▽英国に支配されていた19世紀のアイルランドで100万人ともされる餓死者を出したジャガイモ飢饉▽黒人奴隷と人種差別▽慰安婦――である。

 ホロコースト以外は、1989年の冷戦終結後に設置された。アルメニア人虐殺が90年、ジャガイモ飢饉が95年、黒人奴隷が2009年、慰安婦が13年である。冷戦終結によって、世界各地で「記憶」をめぐる問題が表面化したのに符合している。

 地元紙によると、もともとあったホロコースト記念碑を見たアルメニア系住民が「自分たちも」と考えたのが契機だった。それに続いたのが、人口90万人弱の郡内に約15万人いたアイルランド系だったという。アイルランド系団体の代表は地元紙に「英国が(飢饉の続いた)5年間になした残虐行為の影響は、今でもアイルランドに残っている」と憤りを語った。

 アルメニア系やアイルランド系は米国で強い政治力を持っており、設置は比較的スムーズに進んだようだ。

他の「記憶」に刺激された慰安婦の記念碑設置

 私は13年6月、慰安婦の記念碑設置を主導した韓国系団体「市民参与センター」の金東錫(キム・ドンソク)常任理事を取材した。設置から3カ月後のことだった。

 慰安婦問題に関する取材ではあったが、この時に焦点となっていたのは別の記念碑だった。金氏らは10年、行政区分でバーゲン郡の下になるパリセイズパーク市の図書館に全米初の慰安婦記念碑を設置していたのだ。

 自民党の国会議員4人が12年に現地を訪問し、市当局に撤去を求めたことで日米両国のメディアに大きく取り上げられていた。ソウル特派員だった私はその翌年、長文の企画記事を執筆するため現地に向かった。インタビューのために金氏の事務所を訪れた時、私は裁判所前に記念碑があること自体を知らなかった。

 その私に対して金氏は「本当は最初から裁判所の前に建てたかった」と語り始めた。金氏の言葉は、次のようなものだった。

 「裁判所の敷地に、アルメニア人虐殺、ジャガイモ飢饉、黒人奴隷、ホロコーストそれぞれの記念碑がある。そこが教育の場になっていて、よく行事をやっている。だから、私たちもそこに石碑を建てたいと考えた。でも郡の行政トップが、慰安婦は韓国と日本の問題だからと取り合ってくれなかった。韓国系住民が多いパリセイズパークに行けと言われたんだ」

 慰安婦の記念碑設置は、他の歴史的「記憶」に刺激を受けた結果だったということだ。

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澤田克己

論説委員

1967年生まれ。埼玉県狭山市出身。91年入社。ソウル支局やジュネーブ支局で勤務した後、論説委員を経て2018年から外信部長。2020年4月から再び論説委員。著書に『「脱日」する韓国』、『韓国「反日」の真相』、『反日韓国という幻想』、『新版 北朝鮮入門』(共著)など。