オアシスのとんぼ

韓国の歴史家が提唱する「犠牲者意識ナショナリズム」とは<記憶の戦争4>

澤田克己・論説委員
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Arbeit Macht Frei(働けば自由になる)」とドイツ語で書かれた文字板がかかるアウシュビッツ元強制収容所の入り口=2006年5月29日、会川晴之写す
Arbeit Macht Frei(働けば自由になる)」とドイツ語で書かれた文字板がかかるアウシュビッツ元強制収容所の入り口=2006年5月29日、会川晴之写す

 韓国・西江大の歴史家、林志弦(イム・ジヒョン)教授は新著「犠牲者意識ナショナリズム」(未訳)で、冷戦終結後に世界各地で目立つようになった歴史認識問題を読み解いた。

 焦点を当てたのは、ホロコーストを巡るドイツとポーランド、イスラエルの問題であり、慰安婦問題などで衝突する日本と韓国の関係だ。ホロコーストと慰安婦問題を同列に並べることには違和感というか、落ち着かない思いを抱くことは否定しがたい。だが、冷戦終結後に呼び戻された「犠牲者としての記憶」が衝突を生む構図は共通している。

 連載の最終回は、林教授のインタビューを柱に「犠牲者意識ナショナリズム」について考えてみたい。

「被害民族」と「加害民族」というステレオタイプ

 林教授は「先祖が犠牲となった歴史的記憶を後の世代が継承し、自分たちを悲劇の犠牲者だとみなす。そして、現在のナショナリズムを道徳的、政治的に正当化する。非業の死を強いられた被害者が国家と民族のために喜んで命をささげた崇高な犠牲者として記憶に刻まれる瞬間、犠牲者意識ナショナリズムが芽生える」と説明する。

 「犠牲者意識ナショナリズム」という概念を考えた契機は、日系米国人のヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんの自伝的著書「竹林はるか遠く――日本人少女ヨーコの戦争体験記」を巡って2007年に米韓両国で起きた騒ぎだった。

 まず、何が起きたのかを紹介しよう。

 11歳で終戦を迎えたカワシマさんは、朝鮮半島北部の町から母に連れられて日本に引き揚げてきた。支配者の座から転落した日本人に向けられる敵意や戦後の混乱の中での逃避行は死と隣り合わせであり、レイプ被害にあった女性も少なくなかったことが赤裸々につづられている。一方で、引き揚げる日本人を助けてくれた朝鮮人の姿や、引き揚げ者を迎えた日本社会の冷たさも描かれた。

 米国で1986年に出版され、05年に「ヨーコ物語」というタイトルで韓国語版が出た。韓国では「反戦・平和小説」と紹介されたが、大きな反響はなかった。

 局面が変わったのは06年。ニューヨークやボストンに住む韓国系米国人たちが、この本が中学生の教材リストに入っていることへの抗議運動を始めた。「加害者の日本人を被害者であるかのように描いた」という反発だ。そして翌07年にはボストンの韓国総領事館がマサチューセッツ州教育委員会に抗議する事態に発展した。この動きが韓国メディアによって大きく報じられたことで、韓国での評価も「反戦・平和小説」から「でたらめな回想」へと一変し、著者への人身攻撃的な反発が巻き起こった。

 連載2回目で見たように「遠隔地ナショナリズム」と呼ばれる移民の動きは、本国よりも過激なものとなりやすい。そして米国での動きがメディアを通じて伝えられたことで、本国のナショナリズムが刺激された。この動きはさらに、日本のナショナリズムを刺激したようだ。この騒ぎの後に出版された日本語版はベストセラーとなり、著者は巻末の「日本語版刊行に寄せて」という文章の冒頭で在米韓国人たちの運動への嫌悪感を記した。

 韓国=被害者、日本=加害者というステレオタイプの「集団的記憶」が、個人の経験を押しつぶした形だ。林教授は「歴史的な文脈から離れて被害者の立場を絶対化したカワシマさんを加害者民族と被害者民族という二分法で批判する韓国のナショナリズム、あるいは原爆や引き揚げ、戦争捕虜などの問題を脱歴史化して米国とソ連に対する自らの犠牲者性を強調する日本の戦後記憶文化が、まさに犠牲者意識ナショナリズムだ」と話す。

トラウマをほじくり返す「犠牲者らしさ」の…

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澤田克己

論説委員

1967年生まれ。埼玉県狭山市出身。91年入社。ソウル支局やジュネーブ支局で勤務した後、論説委員を経て2018年から外信部長。2020年4月から再び論説委員。著書に『「脱日」する韓国』、『韓国「反日」の真相』、『反日韓国という幻想』、『新版 北朝鮮入門』(共著)など。