小川和久氏=北山夏帆撮影
小川和久氏=北山夏帆撮影

 台湾有事論の高まりを前に、1970年代後半の北方脅威論の時代を思い出している。

 激しさを増す米ソ冷戦のさなか、日本国内では何十個師団ものソ連軍が北海道に上陸侵攻してくるとの危機感が高まり、マスコミでもそれをあおるような報道が相次いだ。

 しかし、現実には海上輸送能力の限界から、北海道に投入できるのは3個自動車化狙撃師団(機械化歩兵師団)、1個空挺(くうてい)師団、1個海軍歩兵旅団、1個空中機動旅団にすぎず、全滅を覚悟しない限り、作戦が発動される可能性はなかった。

 意外かもしれないが、そういう角度から軍事を科学的にとらえることを教えてくれたのは、1等陸佐になったばかりのころの、防衛大学校1期生たちだった。

 つまるところ、このときの騒ぎはワシントン発、そして永田町発の政治的な北方脅威論にすぎなかった。空騒ぎからさめたあと、国民の防衛意識が高まるには長い年月を必要とした。今回の台湾有事論の高まりには同じ側面がある。

 今回の発端は、当時のインド太平洋軍司令官デビッドソン海軍大将が3月、上院軍事委員会で「中国の脅威は6年のうちに明らかになる」と述べたことだった。それは3カ月後、米軍のトップであるミリー統合参謀本部議長によって「中国が台湾全体を掌握する軍事作戦を遂行するだけの本当の能力を持つまでには、まだ道のりは長い」と否定される。

 しかし、不思議なことに日本のマスコミはデビッドソン発言のトーンで台湾有事を報道し、ミリー発言に目を向けることはない。

 本稿では、中国の武力行使の動きを封じるため、現在の台湾有事論に欠けている科学的な視点を、特に武力侵攻のカギを握る海上輸送の常識に絞って紹介し、脅威論によって歪曲(わいきょく)されがちな議論を整理したいと思う。

 デビッドソン発言に喚起された台湾有事論は、ある日突然、中国の大軍が台湾に着上陸侵攻し、軍事占領を果たすことで武力統一を実現するかのように受け止められている。それは本当だろうか。

 台湾侵攻にあたって、中国側はサイバー攻撃による台湾側の防衛体制のかく乱、台湾国内での騒乱などを同時進行させるだろうが、それは武力統一の決め手にはならない。現在の議論に抜け落ちているのは次のような着上陸作戦の前提条件である。

 第一は海上輸送能力の問題だ。…

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小川和久

静岡県立大学特任教授 特定非営利活動法人・国際変動研究所理事長 軍事アナリスト

 1945年生まれ。陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理(防災、テロ対策、重要インフラ防護など)の分野で政府の政策立案に関わり、国家安全保障に関する官邸機能強化会議議員、日本紛争予防センター理事、総務省消防庁消防審議会委員、内閣官房危機管理研究会主査などを歴任。小渕内閣ではドクター・ヘリ実現に中心的役割を果たした。電力、電話、金融など重要インフラ産業のセキュリティ(コンピュータ・ネットワーク)でもコンサルタントとして活動。2012年4月から、静岡県立大学特任教授として静岡県の危機管理体制の改善に取り組んでいる。『フテンマ戦記基地返還が迷走した本当の理由』『日米同盟のリアリズム』など著書多数。