ウェストエンドから

世界の「脱石炭」を主導する英保守党の野心と危うさ

服部正法・欧州総局長
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COP26の会合でスピーチするジョンソン英首相=2021年11月2日、AP
COP26の会合でスピーチするジョンソン英首相=2021年11月2日、AP

 古い町並みや景観を維持し、落ち着いた雰囲気の英国は、日本から見ると「静的」な社会に映るかもしれない。成長に伴う変貌のスピードが速く、活気に満ちた「動的」なアジアに比べれば、そうだろう。だが、表面的な雰囲気とは裏腹に、政治の変化はドラスティック(劇的)で、社会構造や「国の形」の転換に直結する動きが次々と出てくる、というのが、この約2年半英国に暮らす私の実感だ。

 英北部グラスゴーで10月31日から11月13日まで開かれていた国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)の成果と気候変動を巡るこれまでの歴史などを通じ、英国政治、とりわけ与党・保守党の動きがもたらす変化と、その「功」と「罪」について考えた。

大英帝国を支えた石炭をやめる英国

 COP26の成果のうち最重要なものとして挙げられているのが、二酸化炭素(CO2)の大きな排出源である石炭火力発電の「段階的削減」に向けた努力を加速させることが成果文書に明記され、世界的な「脱石炭」へと道筋がつけられたことだ。「脱石炭」の旗振り役となったのは、今回議長国となった英国だった。英国は、温室効果ガスの排出削減措置が取られていない国内の石炭火力発電を2024年9月末で廃止すると表明している。

 「脱石炭」を英国がけん引したところが、歴史的観点から見ると興味深い。石炭は近代英国の発展と切っても切り離せない存在だったからだ。

 イングランド北・中部、スコットランドの平野部、ウェールズの各地などで採掘され、燃料として用いられていた石炭。18世紀初頭にイングランドのダービー父子が石炭から作ったコークスを用いた製鉄法を開発したことで、鉄鋼の大量生産への道を開いた。

 一方、18世紀後半にはスコットランド出身のジェームズ・ワットが蒸気機関の改良に成功したことで、鉄道や蒸気船の開発につながり、石炭はそれらの燃料として用いられるようになる。それまでの木炭と比べて工業での生産力向上が一気に進み、動力源として交通・輸送機関の発展にもつながり、画期的なエネルギー革命をもたらした。そして大量の石炭が産出される英国は大きなアドバンテージを手にする。

 当コラムでたびたび発言を引用している英歴史学者、ケンブリッジ大のロバート・トゥームズ名誉教授の著作「イングランド人とその歴史」(未邦訳)によると、1700年段階で欧州の石炭生産量の8割がイングランドで生産されたものだった。その結果、英国は産業革命の場となる。

 重工業をいち早く発展させた英国は、世界最強の海軍力を背景に「七つの海を支配する」と言われた大英帝国の興隆を迎える。英BBCテレビのニュース番組の元司会者として著名なジャーナリスト、ジェレミー・パックスマン氏は近著「ブラック・ゴールド:英国を作った石炭の歴史」(未邦訳)の中で、海軍評論家のアーチボルド・ハードが1898年に著したこんな記述を紹介している。「石炭が国家の運命を支配する。帝国にとって必要不可欠な第一は石炭だ」。石炭は、大英帝国の覇権を支え「パックス・ブリタニカ(英国による平和)」の国際秩序の形成に影響を与えたと言っても過言ではない。

 今回のCOPでやり玉に挙がった石炭火力発電だが、世界で初めて石炭火力発電所が建設されたのは英国の首都ロンドン中心部で、1882年のことだった。来年で石炭火力発電所の稼働開始から140年となるタイミングで、「脱石炭」を世界で英国が先導するというのは、なんとも不思議な巡り合わせとも言える。

石炭を巡る英政治の変遷

 先に述べたパックスマン氏は同著で、石炭採掘が富などをもたらした以外にも「政治を形作り(中略)地域を生み出し、国家形成に大きな役割を果たした」と指摘した。石炭が一体どのように英国政治を形作ったというのか。

 英政治は、貴族や地主を支持基盤とする保守党と、都市部の商工業者などから支持され、自由主義的・進歩主義的な自由党による2大政党が定着していた。しかし、1920年代になると、工業化が生んだ大量の労働者の組織化と社会主義の拡大の中で、労働者階層の支持を受けた新たな政党「労働党」の勢いが強くなる。労働党はやがて自由党に代わって2大政党の一翼となり、保守党と政権獲得を争うようになった。

 この結果、イングランド南部の上流・中流階級に保守党が支持層を広げ、イングランド北・中部やスコットランド、ウェールズで労働党が支持を広げるという構図が定着した。労働党の支持基盤のこれらの地域は工業地域であり、かつ炭鉱地域とも重なる。労働組合の中でも炭鉱労組は極めて重要な労働党の支持団体となった。

 しかし、主要なエネルギーが石炭から石油へと変わる中で、石炭採掘は衰退していく。保守党のサッチャー政権(1979~90年)は、不採算の炭鉱を閉鎖に追い込もうとし、炭鉱労働者たちは大規模ストに打って出て抵抗したが、政権との対決は最終的に労組の敗北に終わった。かつては活況だった造船業などの製造業も衰退する中、サッチャー氏は製造業から金融・サービス業への産業転換を図る新自由主義政策を推し進めた。世に言う「サッチャリズム」である。

気候変動と2大政党

 その新自由主義政策や国家主義的な傾向からすると意外なようだが、世界で最も早い段階で気候変動の危機に警鐘を鳴らした指導者の一人がサッチャー氏である。サッチャー氏は89年、国連総会での演説で、温室効果ガスの排出と大気中の二酸化炭素の増加、気候変動に国際社会が対処していく必要性などを唱えた。サッチャー氏はまた、気候変動に関する研究機関、英気象庁ハドレーセンターを90年に設置。化学の研究者出身ならではの先見性だったのかもしれないが、時代の方がまだ追いついていなかったかもしれない。現在につながる英国の気候変動対策が本格的に動き出すのは、90年代後半以降の労働党政権を待たねばならない。

 サッチャー、メージャーという2代にわたる保守党長期政権に対抗するため、労働党は新党首、トニー・ブレア氏の下で、中道路線に転換した「ニュー・レイバー(新たな労働党)」を掲げる。97年の総選挙で保守党に圧勝し、18年ぶりに政権を奪還。ブレア、ブラウンの両労働党政権は積極的に気候変動問題に取り組み、08年に世界で初めて温室効果ガスの削減量を法制化した「気候変動法」を制定し、「2050年に1990年比で8割減」とすることを定めた。

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服部正法

欧州総局長

1970年生まれ。99年、毎日新聞入社。奈良支局、大阪社会部、大津支局などを経て、2012年4月~16年3月、ヨハネスブルク支局長、アフリカ特派員として49カ国を担当する。19年4月から現職。著書に「ジハード大陸:テロ最前線のアフリカを行く」(白水社)。