外交が「毅然とした主張」に取って代わられるわけにはいかない

田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長
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田中均氏=根岸基弘撮影
田中均氏=根岸基弘撮影

 先の総選挙で自民党が事実上勝利した背景には、日本の有権者、特に若い人々のあいだでこの10年間、徐々に浸透してきた保守ナショナリズムの高まりがあったと見るのは間違いだろうか。

 「毅然(きぜん)とした主張」をすべきだという考え方が間違っているわけではないが、毅然とした主張だけでは結果を作ることはできないのは明らかだ。外交の原則とは毅然とした主張をしつつ交渉をし、相手との調整のうえでウィンウィンの結果を作るプロセスである。

 筆者の外務省入省時、研修の教材として使われていたエピソードを思い出した。およそ90年前のこの日(1932年12月8日)、満州国問題を議論した国際連盟総会で松岡洋右首席全権は原稿なしで1時間20分にわたる大演説を行った。

 松岡は13歳で渡米し苦学してオレゴン大学を卒業した大変な英語の使い手だった。松岡が受けていた訓令は「日本の主張が認められなければ国際連盟脱退はやむを得ない」というものだったと伝えられる。

 翌33年3月の連盟理事会でリットン報告書をベースとした勧告が採択されると、松岡は勧告反対を明らかにし、席を立って退場し、その後日本は連盟脱退に至る。

 この松岡の毅然とした態度が日本国内で熱狂的に歓迎され、ポピュリズムにあおられた無謀な戦争へとつながっていったのは歴史が示す通りだ。

 松岡はその後、満鉄総裁や外相になり、戦後はA級戦犯で訴追され判決前に病死したが、まさに戦争に至る過程の当事者として何を思っただろうか。

「毅然とした態度」は目に付くが、本来あるべき「外交」はどこへ?

 今日、日本で「毅然とした態度」はあちこちで目に付くが、結果を作る外交の姿はほとんど目に付かない。韓国との関係では問題を作ったのは韓国だから、解決の提案を持ってくるまでは、意味ある首脳会談や外相会談はおろか、在京大使とも一回たりとも面会に応じない姿勢だ。

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田中均

日本総合研究所国際戦略研究所理事長

1947年生まれ。69年京都大学法学部卒業後、外務省入省。オックスフォード大学修士課程修了。北米局審議官、在サンフランシスコ日本国総領事、経済局長、アジア大洋州局長を経て、2002年より政務担当外務審議官を務め、05年8月退官。同年9月より(公財)日本国際交流センターシニア・フェロー、10年10月に(株)日本総合研究所国際戦略研究所理事長に就任。06年4月より18年3月まで東大公共政策大学院客員教授。著書に『見えない戦争』(中公新書ラクレ、19年)、『日本外交の挑戦』(角川新書、15年)、『プロフェショナルの交渉力』(講談社、09年)、『外交の力』(日本経済新聞出版社、09年)など。2021年3月よりTwitter開始(@TanakaDiplomat)。毎日リアルタイムで発信中。YouTubeチャンネル(@田中均の国際政治塾)。