
子宮頸(けい)がんを防ぐ「HPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチン」の積極的勧奨(接種券を送付し、接種を勧めること)が、再開されることになった。2013年に中断され、再開までに8年かかったことは、おわびを申し上げなければならない。本当に長かった。
再開を望んで一緒に活動してくれた皆様への感謝の気持ち、ワクチンで若い子たちの命を守れるという安堵(あんど)の気持ち、国際社会での責任をやっと果たせるという思い、いろんな思いが交錯している。
毎日8人が亡くなる子宮頸がん
20年9月から1年間、副厚生労働相を務めたが、田村憲久・前厚労相と私、樽見英樹・前事務次官の3人で毎日のようにこの問題について議論した。菅義偉前首相に直談判もし、製薬会社とも交渉した。任期中に再開に向けた道筋をつけることができ、責任を果たせたとほっとしている。
この間、新型コロナワクチンの接種も始まった。日本にはワクチン全般を敬遠する方も多い。HPVワクチンについての議論が、新型コロナワクチン接種を推進するうえで、悪影響を与えはしないかと苦慮もした。
新型コロナの感染抑制は絶対的な使命だったが、重要なのは新型コロナであっても、子宮頸がんであっても、命を守ることだ。ワクチンで予防できる病気にもかかわらず、日本では子宮頸がんで毎日8人が亡くなっているのだと訴えてきた。
地道な活動で導いた「政治決断」
積極的勧奨が止まってからの8年間、黙って状況を見守っていたわけではない。議連を組織し、党内から発信をし、何度も政府に申し入れをした。
18年には、HPVワクチンの接種と、接種後に報告されたさまざまな症状の間に明らかな関連性が認められないという名古屋市の調査結果が公表された。再開に向けて、政府を説得する最高の材料だった。ワクチンの有効性の高さを示すエビデンス(根拠)も次々と発表された。HPVワクチン接種が進まない日本の状況は、世界保健機関(WHO)からも批判された。
党内には、積極的勧奨の再開に慎重な立場の方もいらっしゃった。ご理解、ご納得いただけるように、お一人お一人にしっかりと説明して歩いた。最初は私1人だったが、議連を通じて仲間が増えた。議員だけでなく、医療界にも民間にも仲間が増えた。そうした活動をきちっとやり、エビデンスもそろい、政府に対して「政治判断を」と強く求めることができた。
積極的勧奨の再開が必要だということは、厚労省を含め、みんなわかっていたはずだ。最後に必要だったのは「政治判断」だった。田村前厚労相が覚悟をもって、その判断をしてくれた。13年にワクチン接種の積極的勧奨の中止が決まった時の厚労相も、田村さんだった。運命的なものを感じている。田村大臣だからこそ、再開できたのだと思う。
因果関係「グレー」でも補償と治療を
私たちは、積極的勧奨の再開だけを訴えてきたわけではない。
ワクチン接種後に表れたさまざまな症状で、今も苦しんでいる子たちがいる。ワクチンと症状の因果関係が証明できない「グレー」の場合にもきちんと補償し、治療を受けられる体制を整えるべきだと訴えてきた。…
この記事は有料記事です。
残り852文字(全文2138文字)
三原じゅん子
参院議員
1964年生まれ。2010年参院初当選。参院厚生労働委員長、自民党女性局長、副厚労相などを歴任。参院神奈川、当選2回。自民党。