中東・砂の迷宮から

エジプトから見たソ連崩壊--親ソから親米へと転じた中東の大国で起きている変化

真野森作・カイロ特派員
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イスラエルとの中東戦争でエジプト軍が使用したスホイ7戦闘機(手前)などのソ連製兵器=カイロ郊外のエジプト国立軍事博物館で2021年12月7日、真野森作撮影
イスラエルとの中東戦争でエジプト軍が使用したスホイ7戦闘機(手前)などのソ連製兵器=カイロ郊外のエジプト国立軍事博物館で2021年12月7日、真野森作撮影

 30年前の1991年12月25日に崩壊したソ連は東西冷戦下のある時期、中東の地域大国エジプトにとって最大の支援国だった。兵器供給やダム建設支援、留学生受け入れなどその内容は多岐にわたったが、エジプトは70年代に親ソ路線から180度転換し、親米国家へ生まれ変わった。ソ連との関係はすでに現代史の一ページとなっている。

 一方で、民主主義の旗手を自任してきた米国の力は相対的に低下し、中国やロシアなど権威主義的な国々が台頭する中で、エジプトの安保・外交政策にも近年、ある変化が起きている。

ソ連を頼ったエジプト

 スホイ7、ミグ17F、ミグ21M――。カイロ郊外の国立軍事博物館の中庭には、黄土色や焦げ茶色の迷彩で塗装されたソ連製の戦闘機や対空兵器の数々が展示されている。50~80年代に使われたものだ。見学に訪れた地元の子どもたちは笑顔で記念撮影に興じていた。近くには第2代エジプト大統領のナセルと第3代のサダトの銅像も並ぶ。

 エジプトは52年、ナセル率いる自由将校団の軍事クーデターでムハンマド・アリー朝の王政を倒し、共和制へ移行した。56年に大統領となったナセルは国内産業の振興を目指し、水力発電と農業用水確保のためナイル川上流にダム建設を計画する。

 だが、米英両国に資金援助を拒否され、費用捻出のためにスエズ運河の国有化を宣言する。巨額の通航料収入を生む運河会社の利権を失うことになった旧宗主国・英国とフランスは猛反発し、イスラエルと共にエジプト攻撃に出た。第2次中東戦争である。

 エジプトは苦戦を強いられたが、米ソ両大国の圧力で英仏側はやむなく停戦と撤兵に応じた。アラブ社会主義を奉じたエジプトはソ連との関係を深めていき、ソ連製兵器で軍備増強を図った。さらにソ連の技術・資金援助によって念願のアスワン・ハイダムを60年に着工し、70年に完成させている。

 エジプトの歴史家、アッセム・デッソーキ氏は「ナセル時代のエジプトは英国からの完全な独立を勝ち取るためにソ連を頼った。冷戦における米ソの反目を利用し、ダムのような経済プロジェクトにもソ連の支援を得た」と指摘する。ソ連側の思惑については「中東・アラブ世界におけるエジプトの重要性を理解し、接近を求めた」と見る。東西両陣営が世界を二分して影響力を競い合う時代だった。

ソ連留学ブームの時代

 60年代はソ連とエジプトの協力関係がピークにあった時期で、軍事、工学、教育など各分野でソ連への留学が盛んだった。軍人出身のムバラク第4代大統領はソ連・キルギス共和国(現キルギス)の空軍学校へ留学していたことで知られる。のちにエジプト空軍司令官として高く評価されたことが、政界への道につながった。

 カイロのアインシャムス大学でロシア文学を研究するマカレム・アルガムリー教授(74)もソ連で学んだ一人だ。博士号取得を目指して69~73年に奨学金を得て名門モスクワ大学の大学院へ留学した。

 イスラム教徒の女性であるアルガムリーさんにとって、無神論の共産党が支配するソ連での留学生活にはカルチャーショックもあったという。「当時のソ連では宗教について話すことはできなかったし、人の目に触れる場所での礼拝もできなかった。留学中、私はいつも自室で礼拝していました」と振り返る。…

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真野森作

カイロ特派員

1979年生まれ。2001年入社。北海道報道部、東京社会部などを経て、13~17年にモスクワ特派員。ウクライナ危機を現場取材した。20年4月からカイロ特派員として中東・北アフリカ諸国を担当。著書に『ルポ プーチンの戦争』(筑摩選書)、『「チェチェン化」するロシア』(東洋書店新社)がある。