
日中関係の「逆転」
国交正常化後50年間で、日中関係は大きく変わった。日本は最初の10年、文化大革命を終わらせ、近代化に取り組む中国に対して積極的に協力した。
日本の政財界を引っ張っていたのは戦争を経験した世代であり、中国が賠償請求を放棄したことに対する実質的な償いの意味で近代化に協力しようという意識が強かった。
その上、中国が経済成長し国際社会の健全な一員となれば、日本を取り巻く国際環境の改善にもつながると考え、政府開発援助(ODA)などを通じて経済発展の支援を続けた。1990年ごろまでの日中関係は、中国の経済再建をいかに成功させるかが重要なテーマだった。
この日中協力が大きく寄与し、中国は予想を上回る経済発展を遂げた。2010年には国内総生産(GDP)は日本を上回り、現在は経済力、軍事力で圧倒。急速な成長で国際社会でのプレゼンスも徐々に増し外交面で自己主張を強め、各地で人権問題や領土問題なども起きている。
中国が目下の目標としているのは「あらゆる面で米国を超える」ことであり、日本のプレゼンスは低くなっている。
友好関係を阻む「感情」
日中関係を考える上で感情の問題は避けては通れない。80年代の日中関係は良好と言われていたが、中曽根康弘首相(当時)の靖国公式参拝問題や歴史教科書問題をはじめとする歴史問題で中国側の反発を招き、感情的なしこりが大きくなっていった。しかも中国は経済発展に日本の協力があったことを積極的に国民に広報しておらず、対日感情が改善することはなかった。
一方、日本の側も89年に起こった天安門事件に衝撃を受け、「中国は恐ろしい国」という印象を植え付けられた。この頃数回にわたる中国の核実験再開も追い打ちとなり、対中感情が悪化していった。
さらに中国は、92年に領土領海法を制定し尖閣諸島一帯を固有の領土として表明、日中間には領土問題も横たわるようになってしまった。90年代以降、日中は経済的な関係が深まる一方で、政治的な問題が関係構築を阻むという構図がクリアになっていく。
日本が当初思い描いていた、経済発展から政治的なつながりを強め、協力し合う関係とはかけ離れた結果となったといえよう。
権威主義とパワーポリティクス
日中関係を見る上で重要な視点を二つ提示したい。一つは中国の権威主義だ。
私は2010年ごろ、今の王毅外相と話していた際、「そろそろ日本も中国が上だと認める時に来たのではないか」と言われ、驚いたことがある。中国のエリートは上下関係にこだわり、国同士の関係も「上か下か」という意識が非常に強い。日中関係においても平和的共存というよりは、中国が上であることを前提とした秩序づくりを志向する。
中国の権威主義は、中国の思想や官僚組織が背景にある。儒教は中国という大国を治めるために生み出されたものといえ、重層的に権威づけられた階層社会を機能させることで安定した秩序を生み出すという考え方だ。
そして、その実現のため漢の時代から続く巨大な官僚組織が中央・地方に編み目のように張り巡らされた。革命により共産主義が入って歴史的な思想や官僚制が打倒されると思われたが、権威主義は共産党体制でも維持された。文化大革命の混乱などを経た後は「伝統的な考え方が中国に一番合っている」という主張も増えている。
もう一つはパワーポリティクスの発想だ。民主党政権時の2010年、中国漁船衝突事件が発生した。…
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天児慧
早大名誉教授
1947年生まれ。専門は、現代中国論、アジア国際関係論。早大現代中国研究所所長、NIHU(人間文化研究機構)現代中国地域研究拠点形成プログラム代表などを歴任。主な著書に「中国政治の社会態制」(岩波書店)、「中国共産党論 習近平の野望と民主化のシナリオ」(NHK出版新書)、 「中華人民共和国史 新版」(岩波書店)、「中国のロジックと欧米思考」(青灯社)など。