持続可能な社会へ共感と参画の政治を 傲慢さ生んだ「野党第1党病」

辻元清美・元立憲民主党副代表
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辻元清美氏=野原大輔撮影
辻元清美氏=野原大輔撮影

自分の至らなさと維新旋風

 2021年衆院選で日本維新の会の候補者に敗れ、比例復活もできずに落選した。敗北の理由は主に三つあると考えている。

 一つ目は自分自身の至らなさだ。これまで7回当選させていただき、国対委員長を務めるなど国民のために仕事をしてきた自負はあった。だが、知らず知らずのうちに「永田町人間」になっていたのではないかと思う。

 選挙中、「ローカルの維新は眼中にない」と発言し攻撃された。「衆院選は国政のあり方をめぐって与党と野党がぶつかるもの。大阪の課題が争点のはずもないし、そもそも野党同士で批判しあうのはおかしい」という趣旨で述べたものだったが、あたかも相手候補者に対して発言したように取り上げられてしまった。このような発言をしてしまうこと自体、自分に傲慢さがあったのだと思う。

 また、自社さ政権のときに超党派で特定非営利活動促進法(NPO法)をつくるなど、いっしょに仕事をしてきた山崎拓・元自民党副総裁が応援に来たことも批判された。山崎氏は「辻元は全く国会で仕事をしていない」という私への個人攻撃に対し「しっかりと仕事をしてきた」と反論するために駆けつけてくださった。とはいえ、やはり一般の有権者が「元自民党幹部が応援に来るのはおかしい」と思ったことは否めない。こちらの伝えたいことだけが伝わると思っていたことは思い上がりだ。有権者の声を地道に聞きながら、現場を大事にする自分の原点に戻りたいと思う。

 2点目は、維新という旋風が吹いたことだろう。大阪では、維新の地方議員や首長が合わせて300人ぐらい誕生しており、政治基盤が強固な上に新型コロナウイルス対策で有名になった吉村洋文知事が選挙戦の前面に出て既存政党への不満を吸い上げた。さらにその一方で、公明党との選挙区のすみ分けを水面下でするなど、非常に巧みだった。選挙戦術として見習わなければならない。

示せなかった立憲のアイデンティティー

 そして三つ目が、立憲民主党の立ち位置がはっきりしていなかったことだ。…

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辻元清美

元立憲民主党副代表

1960年生まれ。学生時代に国際交流NGO「ピースボート」を設立。国連地球サミットNGO代表を経て1996年衆院初当選。副国土交通相、首相補佐官、立憲民主党国対委員長などを歴任。衆院大阪10区、当選7回。2021年衆院選で落選した。