差別が禁止される日はいつ

安田菜津紀・フォトジャーナリスト
安田菜津紀さん
安田菜津紀さん

 ※本記事では訴訟の内容をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。

 日ごろは傍聴する側から眺めている原告席に、自分が座っているのは妙な気持ちだった。裁判官が入廷し、淡々とやりとりが進んでいく。最後に、2分に満たないごく短い意見陳述を読み上げ、最初の期日はあっけなく終わった。その2分の中にも、凝縮した思いがある。日々、ネット上ですさまじい勢いで膨れ上がっていく、差別の言葉に歯止めをかけることだった。

 昨年12月8日、2件の差別書き込みに対し、訴訟を提起した。私の家族のルーツについてつづった記事のリンクを貼ったTwitterの投稿に対し、「密入国では?犯罪ですよね?逃げずにへんしんしなさい」「チョン共が何をして、なぜ日本人から嫌われてるかがよく分かるわい」などと返信してきた2人の書き込み者を相手にしたものだ。

後を絶たない個人攻撃

 父は、私が中学2年生の時に亡くなった。その後、家族の戸籍を手にし、父が在日コリアンだったことを初めて知ることになる。父の家族は朝鮮半島のどこからやってきたのか。なぜ父は、家族との縁を絶ち、ルーツの一切を子どもにひた隠しにしてきたのか。

 その生きた痕跡を少しずつたどる旅を続け、私たちDialogue for Peopleのサイトの掲載をしてきた。温かな反響が寄せられる半面、次々と書き込まれる排除の言葉に、ふつふつとした憤りが湧き上がった。それは、祖父母や父が亡くなってもなお、差別にさらされることへの怒りだった。

 ルーツに対する攻撃は、以前から後を絶たなかった。テレビに出演し、政治に対して批判的なコメントを口にするたびに、「こんな反日分子は排除しなければ」「外国人が日本の政治に口出すな」という言葉が飛んでくる。過去の記事から、私の父が在日コリアンだったことを知ると、今度は「ああ、“やっぱり”」という声があがる。「やっぱりな、日本人ならこんなこと言わないだろう」と、どんな内容のコメントをしても、あらゆる文脈が出自に回収されてしまうのだ。

 自分と意見の違う人間に「外国人」というレッテルを貼れば、「自分は間違っていない」と安心できるのかもしれないが、それは単なる思考停止となってしまう。

 訴訟の相手は元々、匿名のアカウントだったため、まずはその「誰か」を特定するためだけに、発信者情報開示を求める裁判を複数回、起こさなければならなかった。その発信者情報開示を求めた裁判の判決では、書き込みは単なる誹謗(ひぼう)中傷ではなく、「差別」であり、人格権侵害であることが認められた。つまり、「差別」が独立した違法要素として扱われたのだ。

 ただ、この社会には差別を包括的に禁止した法律がいまだ存在しない。発信者情報開示を求めた裁判では、「たまたま」差別だと認められたにすぎない。今、私が提起している訴訟では、たとえ不法行為であることが認められたとしても、判決に「差別」の言葉が盛り込まれるかは不透明だ。だからこそ、意見陳述では、その点を特に強調して伝えるよう心がけた。

 法廷を出てから、ふとため息が漏れる。差別がどう裁かれるのか、ではなく、まずは差別を差別として認められるために、こんなにも労力がいるものなのだろうか。こうした不安定な状況では、矛先を向けられた側が安心してその被害を訴えることはできないだろう。

認めない政府

 日本では長らく、ヘイトスピーチ、ヘイトクライムの被害がなきものとされてきた。

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フォトジャーナリスト

 1987年生まれ。認定NPO法人Dialogue for People 副代表。東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。著書に「故郷の味は海を越えて―『難民』として日本に生きる―」(ポプラ社、19年)、「写真で伝える仕事―世界の子どもたちと向き合って―」(日本写真企画、17年)、「君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―」(新潮社、16年)、「それでも、海へ―陸前高田に生きる―」(ポプラ社、16年)など。