世界時空旅行

若き日のプーチン氏がドイツで感じた「トラウマ」とは? 古都で過ごした冷戦末期の日々

篠田航一・ロンドン支局長
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若き日のプーチン氏が通ったドレスデンのバー「アム・トーア」=2015年2月21日、篠田航一撮影
若き日のプーチン氏が通ったドレスデンのバー「アム・トーア」=2015年2月21日、篠田航一撮影

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(69)は、なぜ何としてもウクライナを勢力圏に置きたいのだろう。私はベルリン特派員時代の2014年、ウクライナ紛争の取材で現地を訪れるたびにいつも素朴な疑問を抱いていた。

 そんな時、「答えはドイツ時代にあるよ」という人がいた。プーチン氏は冷戦末期の旧東ドイツで若き日を過ごしたが、その時の経験が後の人格形成に影響を与えたというのだ。どういうことなのか。今回はドイツ時代のプーチン氏を考えてみたい。

ドイツの地ビールが好きだったプーチン氏

 旧東ドイツ・ドレスデン。エルベ川の真珠と呼ばれ、かつては森鷗外も学び、ザクセン王国の中心地として栄えた古都だ。この町に30代の頃のプーチン氏が通った「アム・トーア」というバーがある。プーチン氏は1985~90年、旧ソ連の情報機関・国家保安委員会(KGB)の情報員としてドレスデンの事務所に駐在していた。

 当時のプーチン氏を知るドレスデン在住の男性が14年、匿名を条件に話をしてくれた。

 「ウオッカやワインではなく、彼はビールが一番好きでした。ドイツ語も上手でした」

 プーチン氏のお気に入りは「ラーデベルガー・ピルスナー」という地ビール。私も15年にこの店で飲んでみたが、独特の苦みがくせになる味だった。ドイツのメディアによると、その後、この店は経営者が代わり、現在はプーチン氏に言及されるのを嫌がっているという。

肌で感じたベルリンの壁崩壊の怖さ

 プーチン氏がドレスデンにいた89年11月、ベルリンの壁が崩壊した。当時37歳だった若き情報員は、ドイツの市民が一夜にして世界を変えた勢いを目の当たりにした。

 「東側諸国が崩壊する時にちょうど東ドイツにいた彼は、市民社会の活力に恐れを抱きました。彼にとっては『安定』というパラダイムが重要だったのです。彼だけでなく(ソ連が崩壊した)90年代に生きた多くのロシア人にとっても、それは非常に大事でした」

 独露関係やウクライナに詳しいシンクタンク「欧州外交関係評議会」のシュテファン・マイスター研究員は14年、取材にそう話していた。

 西側諸国が自分たちの領土に迫って来る。その怖さをプーチン氏は肌で感じた。「ウクライナ死守」は実は恐怖心の裏返しで、原点は若き日のドイツ体験にある。それがマイスター氏の分析だ。

 ウクライナはロシアと西欧の間に位置し、米欧の軍事機構である北大西洋条約機構(NATO)加盟を目指している。だがプーチン氏はこれまで、NATOが東方、つまりロシアの方向に拡大しないことを再三求めている。これこそ恐怖心の裏返しなのかもしれない。

公園でサッカー

 ドレスデン時代のプーチン氏はどんな生活を送っていたのか。

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篠田航一

ロンドン支局長

 1997年入社。甲府支局、東京社会部、ベルリン特派員、青森支局次長、カイロ特派員などを経て現職。著書に「ナチスの財宝」(講談社現代新書)、「ヒトラーとUFO~謎と都市伝説の国ドイツ」(平凡社新書)、「盗まれたエジプト文明~ナイル5000年の墓泥棒」(文春新書)。共著に「独仏『原発』二つの選択」(筑摩選書)。