ウェストエンドから

「国家の暴力」の帰結とは。北アイルランドと南アの事件の相似

服部正法・欧州総局長
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血の日曜日事件の犠牲者の写真パネルを持って行進する遺族や市民ら=英領北アイルランド北部ロンドンデリーで2022年1月30日、服部正法撮影
血の日曜日事件の犠牲者の写真パネルを持って行進する遺族や市民ら=英領北アイルランド北部ロンドンデリーで2022年1月30日、服部正法撮影

 1月30日で、北アイルランド紛争(1968~98年)時の惨劇として語り継がれる「血の日曜日事件」からちょうど50年となった。

 英領北アイルランド第2の都市、ロンドンデリー(カトリック系は「デリー」と呼称)で、英軍部隊がデモ行進中のカトリック系住民に発砲し、14人が死亡したこの事件は、紛争のターニングポイントともなった。

 以前、南アフリカに特派員として暮らしていた私は、初めてロンドンデリーを訪れた3年前から、血の日曜日事件をアパルトヘイト(人種隔離)体制下で起きた黒人らの「ソウェト蜂起」と頭の中でダブらせてきた。両事件の共通点などから「国家の暴力」について考察してみたい。

50年前に起きた「血の日曜日事件」

 北アイルランドは人口の多数派がイングランドやスコットランドから入植した子孫のプロテスタント教徒、少数派が元々アイルランド全体に多いカトリック教徒で構成され、プロテスタント系住民は英国の統治継続を求め、カトリック系住民はアイルランドへの併合を願う傾向がある。

 血の日曜日事件の当時、カトリック系は雇用などの面で差別的な待遇を受け、「二級市民」的な扱いを受けていた。カトリック系住民の間では、1960年代に米国で盛んになった黒人らによる公民権運動に刺激を受け、差別撤廃を求める機運が高まった。

 一方で、プロテスタント系とカトリック系の住民間の断絶と対立は、双方の武装組織のテロや攻撃の活発化にもつながっていた。英当局はテロなどの取り締まりの一環として、カトリック系武装組織との関連が疑われた住民などを裁判なしに長期勾留する措置を導入。この措置にもカトリック系住民の反発が強まっていた。

 こういった状況下の72年1月30日、ロンドンデリーで差別撤廃や長期勾留への抗議のためのデモ行進が行われた。この日は日曜日で、町の中心部、ボグサイド地区に入ったデモ隊に対し、英軍部隊が発砲したのが、血の日曜日事件だ。

 英軍は事件後、発砲について正当防衛を主張してきた。しかし、紛争終結後の2010年に公表された調査結果は、デモ隊に参加した人々が兵士らを脅かすような行為をしていなかったにもかかわらず、警告もなしに兵士が発砲したと結論づけた。これを受けて、当時のキャメロン首相が下院で、英軍の行為について「不当なものだった」と認め、謝罪した。

事件現場で連想した「ソウェト蜂起」

 私が英国に赴任した直後の19年4月、ロンドンデリーでカトリック系過激派組織の拠点と見られる場所を警察が家宅捜索したことを発端に住民らの暴動が発生し、取材中だった若い女性ジャーナリスト、ライラ・マッキーさん(29)が被弾して、死亡する事件があった。

 発砲したのは、いまも紛争の和平合意に反対しているカトリック系過激派組織「新IRA」(新アイルランド共和軍)のメンバーで、和平合意から20年が過ぎてもこんな事件が起きることに、英国では衝撃が走った。

 私は事件から約2カ月後、ロンドンデリーを訪れて事件の余波などを取材した。この際、血の日曜日事件を記念するボグサイド地区の「フリー・デリー博物館」に足を運んだ。館内で、事件や紛争に至る歴史などを物語る展示の数々を見るうちに、強烈な既視感を覚え、思わず口をついて出た言葉がある。「ソウェトと同じだな」

 私はその時、南アの最大都市ヨハネスブルク郊外にある同国最大のタウンシップ(旧黒人居住区)、ソウェトの「ヘクター・ピーターソン博物館」にいるような気がしたのだった。

 ヘクター・ピーターソン博物館は76年に起きたソウェト蜂起を今に伝えており、その名前は、蜂起の最初の段階で警官隊に射殺された10代前半の男児の名前に由来する。二つの博物館の展示が訴えかけ、そして醸し出す、国家による抑圧と暴力の重苦しさとその帰結として悲劇が、私には同種のように感じられたからだ。

平和なデモに対する発砲という共通点

 実際に血の日曜日事件とソウェト蜂起にはいくつもの共通点があると思った。

 まず、ソウェト蜂起は「蜂起」とあるが、最初の段階は平和裏に行われたデモ行進であり、それに対して警官隊が発砲した。市民に対する官憲側の一方的な攻撃という事件の形態が共通している。

 南アでは人口の圧倒的多数を黒人が占め、白人は当時、人口の約2割(現在は1割以下)だった。しかし、アパルトヘイト体制を推し進めた南アの当時の白人政権は、黒人を指定した狭い居住区に押し込め、異人種間の婚姻も禁止、差別を合法化して黒人らを抑圧した。

 南アの白人は主にオランダ系などの「アフリカーナー」と英国系とに大別され、政治はアフリカーナー白人が主導した。

 蜂起のきっかけは、アフリカーナーが日常話しているオランダ語に近い言語で、黒人にとっては「抑圧者の言葉」と認識されるアフリカーンス語を、強制的に黒人たちが通う学校で使うように政府が押しつけたことだった。76年6月16日、ソウェトで高校生や中学生らが抗議の行進を行い、これに対して警官隊がむき出しの暴力で応じたのだ。多数の死傷者が出たことは黒人たちの怒りに火をつけ、大規模な蜂起に発展し、抗議行動は南ア全土にまで広がった。

可視化された深刻な抑圧

 共通点の二つ目は、両事件ともメディアに大きく報じられ、世界中に問題が知られることになった点だ。血の日曜日事件は、英国が抱える北アイルランド問題の深刻さを世界に向けて可視化した。特に衝撃を受けたのはアイルランド系米国人たちだ。この事件で英政府への反発が強まり、アイルランド系米国人社会からカトリック系過激派組織「アイルランド共和軍」(IRA)への資金提供などが増えていったとも言われる。

 撃たれたヘクター・ピーターソン少年が男性に抱えられて搬送されるソウェト蜂起の写真は、世界にアパルトヘイトの過酷さを知らしめ…

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服部正法

欧州総局長

1970年生まれ。99年、毎日新聞入社。奈良支局、大阪社会部、大津支局などを経て、2012年4月~16年3月、ヨハネスブルク支局長、アフリカ特派員として49カ国を担当する。19年4月から現職。著書に「ジハード大陸:テロ最前線のアフリカを行く」(白水社)。