
ウクライナ情勢が急展開した。プーチン露大統領が大仰な舞台設定までして発表した自称「ドネツク人民共和国」及び「ルハンスク人民共和国」の一方的な「独立」承認は、それまでの外交の前提を根底からひっくり返した。
ショルツ独首相は、ガスパイプラインのノルド・ストリーム2承認手続き停止を命じた。これまで手続きが遅れていたのは、単に法技術的な問題であったが、今回の停止は明白に首相が命じた政治的行為である。
ゴールポストを動かすプーチン氏
危機があまりに長引いているので、どこが急展開か分からない読者も多いかもしれない。危機開始以来、ロシア側の要求は多岐にわたっていて、真の狙いがどこにあるのか、そんなものがあるのか、それとも武力で脅し続け、ゆすり取れるだけのものを取ろうと思っているのか、誰にも分からない。
ゴールポストはどんどん動いている可能性もあるし、そこの分析に労力を費やしてもあまり意味がない。今回の「独立」承認は、プーチン氏自身が明白にゴールポストを動かした、あまりに顕著な一例であった。
仏独の努力
危機が始まって以来、最も外交的解決に力を入れてきたのは、フランスとドイツであった。あのクレムリンの巨大なテーブルの突端に座らされたマクロン仏大統領とショルツ首相の映像は記憶に新しい。
そして彼らがなんとか外交的解決のきっかけにしようとしたのが、ノルマンディー・フォーマットと「ミンスク合意」であった。ノルマンディー・フォーマットとは、ウクライナ、ロシア、ドイツ、フランス4カ国による東部紛争の話し合いのための枠組みであり、2014年と15年に、「ミンスクI」と「ミンスクII」の合意が締結された。合意の内容は多岐にわたっており、非常に複雑なのでここでは割愛するが、中心となってまとめたのはメルケル前独首相であった。
ロシアに甘かったメルケル外交
ノルドストリーム2に関する米独のやり取りを見ていても分かるように、メルケル外交はロシアに甘かった。ついでに言うと中国にも甘かった。それをすべて彼女は「経済問題」として片付けようとしていたが、メルケル時代が幕を下ろした今となっては、筆者にはやはり、共産主義体制の中で比較的エリートまで上り詰めていた彼女には権威主義に対するある種の「容認」があったように思われてならない。少なくとも「当局を怒らせない」という点に彼女が才能を発揮したことは疑いようもないが、そのために犠牲になったものも多い。
ミンスク合意も、ロシアによるクリミア併合を棚上げにし、東部の親ロシア派武装勢力に対してロシアがさまざまな支援をしていることに目をつぶり、展開次第では、ウクライナからの東部2州の分離にお墨付きを与えかねない内容であった。
その意味でミンスク合意は明らかにロシアに「融和的」であったが、全欧安保協力機構(OSCE)を引き込んで、何とか着地点を見いだそうとする、それ自体が一種の「プロセス」であった。当初からロシアとウクライナで解釈が乖離(かいり)し、全く履行が進んでいなかった。
ロシアとの経済関係が深いドイツ
それでもショルツ氏とマクロン氏がミンスク合意に戻ったのは、ロシアが受諾可能な外交交渉のとっかかりが、ここにしかなかったからである。直近の目的は、ヨーロッパにおける戦争を避けることである、とショルツ氏はこの間何度も口にした。ドイツはロシアとの経済関係がヨーロッパでもっとも深い。
あまりにパイプライン経由のロシアのガスに依存していることは、それ自体が経済安全保障上の大問題だが(ドイツには稼働しているLNGプラントがない)、これはメルケルの置き土産である。
今後、エネルギーの輸入先を多角化しなければいけないということは、リントナー財務相やハーベック経済相が発言しており、これから当然議論になるだろうが、この冬には間に合わない。
ショルツ氏の努力を踏みにじったプーチン氏
ノルド・ストリーム2の停止に始まり、双方が制裁の応酬になった場合、ロシアからのガス供給が滞り、エネルギー価格がさらに上昇し、すでにインフレ傾向が明白な世界経済が大打撃を受ける可能性も大きい。筆者の脳裏には、この間オイルショック後の1970年代の欧州経済の停滞が何度も頭をよぎった。
それでなくともドイツは、世界一インフレ嫌いな国である。さらにショルツ政権は、環境問題を自らの使命と掲げ、主要7カ国(G7)議長国の立場を使って、世界の「気候クラブ」を立ち上げようという計画も持っていた。ここで戦争勃発を避けたいという気持ちは、人一倍強かった。
しかし、今回のプーチン氏の選択は、そのようなショルツ氏の気持ちと努力を踏みにじるものであり、ショルツ首相がキエフとモスクワを訪問して何とか双方の妥協点をまとめたと思ったものを完全に覆した。怒って当然である。
さらに…
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