現金給付はなぜ、繰り返されるのか 「5000円給付」の裏にあるもの

井手英策・慶應義塾大学経済学部教授
首相官邸に入る岸田文雄首相=東京都千代田区で2022年3月22日、竹内幹撮影
首相官邸に入る岸田文雄首相=東京都千代田区で2022年3月22日、竹内幹撮影

 「年金生活者臨時特別給付金」が物議をかもしている。年金受給者に一律5000円を給付する与党の提案だが、方々から批判の声があがり、撤回か、増額か、あるいは給付対象の拡大か、議論は迷走している。

 与党は、受給額が0.4%減らされる年金生活者への救済だと説明する。一方、野党は「露骨な参院選対策」「たった5000円ではバラマキにもならない」と非難する。メディアでも、安定した生活資金のある年金受給者より、貧しい労働者を優先すべきだ、と疑問の声があがる。

 原油価格の高騰、コロナ禍の流通機構の混乱、ロシアのウクライナ侵攻などによって、物価が上昇している。年金生活者の暮らしが厳しさを増しているのは事実だ。

 だが、批判者が言うように、物価高に苦しんでいるのは年金生活者だけではない。それに、多額の予備費を計上し、その時々の判断で自由に政治利用できるとするならば、それは民主主義を骨抜きにする行為である。

サービスを充実するほうが効率的ではないのか

 思えば、コロナ対策のかけ声のもと、現金給付が繰り返されてきた。

 特別定額給付金に始まり、生活支援特別給付金、住民税非課税世帯への臨時特別給付金、子育て世帯への臨時特別給付金、さらには、収入が減少した事業者や労働者への支援、自治体の独自給付もある。

 なぜ、「現金」給付なのか。もっと「サービス」給付を充実するほうが効率的ではないか、私は、この場で、何度かそう指摘してきた。

 <与野党で重なる財政政策、成長至上主義から脱却を>

 <普遍主義か?バラマキか? 現実的な普遍主義の可能性>

 しかし、今回の給付金に加え、またぞろ立憲民主党が消費減税を公約に掲げるなど、現金のバラマキは一向に収まる気配がない。

 批判するのは簡単だ。だが、状況がこのようであるとするならば、日本の政治は、なぜかくも現金給付を好むのか、その理由を根源から考えてみなければならない。

「勤勉」を重んじる道徳観

 「保守」という言葉がある。広辞苑によれば、保守とは「旧来の風習・伝統を重んじ、それを保存しようとすること」をさす。では、日本の保守派は、どのような風習、伝統を保存してきたのか。手がかりとして、歴代の首相経験者の発言を追跡してみよう。

 高橋是清(1854~1936)「国民に独立の精神と自助の意思を高めさすことを忘れてはならぬ……いたづらに救ふといふやうな方途に出たならば、国民は寄生物になつてしまふ」

 池田勇人(1899~1965)「資本の蓄積は、要するに、国民一人一人の勤労と節約のうちにあるということを覚(さと)らねばならない」

 大平正芳(1910~1980)「遊んでいても喰(く)える、病気になった責任も回避できるということになれば、これは確かに天国に違いないが、然(しか)しそれ丈に国民の活力と自己責任感が減退することになる」

 以上の発言の根底にあるのは、「必要以上に施せば、人間は堕落する」という「惰民観」であり、「勤勉に働き、自分の力で生きること」を重んじる道徳観だ。

 みなさんもご存じのように、日本国憲法の第27条には勤労の「権利」とともに「義務」が書かれている。注意してほしい。ただ働くのではなく、「勤勉に働く」義務である。「働きかた」まで指図する国は、先進国でも稀(まれ)だ。日本的な道徳観が見事にあらわれている(余談だが、政府の「働き方改革」もその意味で日本的である)。

 菅義偉前首相は、国の基本を「自助・共助・公助」と表現したが、この発言も以上の保守的な文脈で理解されると、腹に落ちるのではないだろうか。

自己責任がもたらしたもの

 こうした勤労観は、保守派の政治家だけでなく、日本社会の全体で広く受け入れられていることを示すデータがある。『国際社会調査プログラム』に、いずれを「政府の責任」と考えるか、という質問がある。この質問に「反対(政府の責任ではない)」とした日本の回答者の割合を順位づけすれば次の通りである。

 「病気の人びとに必要な医療を施すこと」1位/35カ国

 「高齢者がそれなりの生活水準を維持できるよう…

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慶應義塾大学経済学部教授

 1972年生まれ。東大大学院博士課程単位取得退学。日本銀行金融研究所、横浜国大准教授などを経て2014年から現職。専門は財政社会学。15年、「経済の時代の終焉(しゅうえん)」(岩波書店)で大佛次郎論壇賞を受賞。16年度慶応義塾賞を受賞。著書に「18歳からの格差論」(東洋経済新報社)、「分断社会を終わらせる」(筑摩書房)、「財政から読みとく日本社会」(岩波書店)、「幸福の増税論」(岩波書店)など。近著に「どうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命」(小学館)。