「プーチンの戦争」が招く核の時代

手嶋龍一・外交ジャーナリスト・作家
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ロシアのプーチン大統領=スプートニク/AP
ロシアのプーチン大統領=スプートニク/AP

 ウクライナの戦いでいま大量破壊兵器が使われる危機が差し迫りつつある。

 東西冷戦の時代なら、首都キエフから南に200キロのペルボマイスクは、核のボタンに手をかけるプーチン露大統領にとって最重要の標的になっていただろう。この地には米都市を射程に収めた700発の核弾頭と80基の長距離弾道弾の発射基地があったからだ。

指呼の間にあった核戦争

 1991年、米上院軍事委員会の重鎮議員だったサム・ナンとリチャード・ルーガーは、旧ソ連圏にあった核ミサイルを解体する法案を成立させて核兵器の解体に挑んだ。この地はいまヒマワリ畑に覆い尽くされて核の墓場になっている。

 国防長官として4度、ここを訪れたウィリアム・J・ペリーは、この現場に立ち尽くした時の戦慄(せんりつ)を筆者に話してくれたことがある。すさまじいばかりの破壊力を持つこれらの核兵器がこちらに向かってくるとわかればわずか数分で決断は下される――核戦争は指呼の間にあったという。

 筆者はドイツそしてワシントン特派員として“核兵器の積み木崩し”の作業を見守った。ナン・ルーガー法の英知に支えられ、冷戦の最前線に生きたウクライナから核の刃は抜き取られた。それは紛れもなく正しい措置だった。

 だが、なんという歴史の皮肉なのだろう。プーチンはそのウクライナに照準を定めて核部隊に戦闘準備を命じた。対するバイデンは、ウクライナへの軍事介入は核戦争の引き金を引きかねないと手を拱(こまね)いている。

回避された全面核戦争

 核の時代の語り部、ペリーは、人類が核戦争の深淵を覗(のぞ)き見たキューバ危機に遭遇し、非常招集された。米中央情報局(CIA)の科学局長から西海岸の自宅に突然電話が入り、ワシントンに呼び出された。そしてミサイルの航空写真の分析に夜を徹して取り組んだという。

 ソ連が配備した核ミサイルはすでに発射の態勢を整えているのか。ペリーらが分析を急いでいた危機3日目の夜、ジョン・F・ケネディはホワイトハウスをひそかに抜け出し、空軍に隠然たる影響力をもつ人物の自宅を訪ねて教えを乞うた。朝鮮戦争時の国防長官ロバート・ロベットは、いまキューバを空爆すれば、戦火はベルリンに飛び火し、欧州同盟国の厳しい批判にさらされると警告した。

 「あなたが米国と西側同盟国のために、核に使用をためらわないという固い決意をお持ちなら、クレムリンから譲歩を引き出し、全面核戦争を避ける道がひらけるかもしれない」

 こう述べて、若き大統領に海上封鎖という穏当な策を授けた。

 クレムリンは核運搬船の回航を命じ、全面核戦争はかろうじて回避されたのだった。ロベットとの会談を終え執務室に戻ったケネディは自らテープに会話の模様を残している。…

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手嶋龍一

外交ジャーナリスト・作家

1949年生まれ。NHKワシントン支局長として同時多発テロ事件の11日間にわたる中継放送を担う。NHKから独立後、インテリジェンス小説「ウルトラ・ダラー」を上梓(じょうし)してベストセラーに。慶応大学教授としてインテリジェンス戦略論を担当。「たそがれゆく日米同盟」「ブラック・スワン降臨」(新潮社)「汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師」(マガジンハウス)など著書多数。