1日5万人!大パンデミックの脅威から見えた香港のいま

ふるまいよしこ・フリーランスライター
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政府が実施するPCR検査センターに並ぶ人たち。右側の列の後方からUターンして左側の列に続いている=香港中心部で2022年2月24日、筆者撮影
政府が実施するPCR検査センターに並ぶ人たち。右側の列の後方からUターンして左側の列に続いている=香港中心部で2022年2月24日、筆者撮影

 3月26日、香港の1日あたり新規コロナウイルス陽性者数がやっと4桁に落ち着き始めた。3月初めには連日過去最高となる5万人台が報告され、香港滞在中だった筆者の周囲でも次々に陽性者や濃厚接触者が出て、これまで日本で感じたことのない「コロナとの袖振り合い」を体験した。約3週間でようやく落ち着いたようだ。

 とはいえ、オミクロン株による第5波の累計感染者数はすでに100万人を突破、死者も7000人を超えた。香港の総人口750万人は日本の約17分の1だから、単純な掛け算でその深刻さが理解できるはずだ。

 香港は2003年になにも知らされないまま中国から持ち込まれたSARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルスで299人が死亡し、悪夢として語られてきた。だから、メディアは2019年末に中国武漢でうわさされ始めた「新型SARS出現」の進展を刻々と伝えた。教訓を生かしてずっと新型コロナを抑えこんできた香港が、ここでなぜこれほどの犠牲を払うことになったのか。現地で見聞きしたその複雑な要因をレポートしたい。

コロナでよみがえる「デモの記憶」

 オミクロン株がもたらされたのは、航空会社の機内乗務員2人が業務上簡便化された職務後の自宅隔離中に出歩いていたことが原因とされる。同じ便に乗務していた別の職員も隔離中に家族と外食し、そこからレストランに居合わせた人たちを中心に感染が広がった。前2者はその後解雇され、正式に起訴された。

 そこから事態が悪化したのは、感染力が強く、またそのスピードが速いというオミクロン株の特徴がある。加えて世界的に高人口密度地区として知られる香港では、世代の違う家族複数が同居する密状態であることも原因の一つとなった。だが、現地のメディア関係者は根底にある問題として、香港政府の施策のまずさ、足並みの乱れ、そして市民に深く根ざす不信感などさまざまな理由を挙げる。

 香港政府は2月初めに新規感染者数が1000人を超えた頃から、矢継ぎ早に施策を発表した。まず同月10日から同じテーブルでの飲食人数を店の規模によって2人から4人までと制限、2週間の期限付きで宗教的な集まりを禁止し、さらに理髪店にも一時営業中止を言い渡した。翌週になると、前月から実施されていた夕食時間帯の外食禁止措置を延長し、24日からはワクチン未接種者の飲食店への出入りを全面禁止した。

 同時に市民に対し、大型商業施設や商店などへの出入りには、政府配布アプリで店舗入り口に掲示されたQRコードを読み取ることを義務付けた。そのアプリによって陽性者の足跡を追跡し、同じ時間帯に同じ場所にいた不特定多数の市民たちに警告するためとされた。だが、筆者の目測ではスーパーなど日常生活に密着する場でわざわざスマホでQRコードを読み取っていた人は半数程度で、残りはそのまま入店していた。

 大感染の不安の中、なぜ市民はQRコード読み取りに応じないのか。そこには「自分の個人情報を政府に握られたくない」という思いがあり、それは2019年のデモの記憶に由来する。

 デモ当時、交通系ICカードを利用して移動すればその足取りが簡単に当局に筒抜けになり、目的地で行われたデモに参加したと判断されて逮捕されるといわれ、多くの人たちが逐一現金でチケットを購入して地下鉄やバスに乗った。その経験から、個人情報は登録せずスマホの位置情報だけで感染の危険を知らせてくれるアプリも、人々は信用を置いていない――つまるところ、市民の政府への信頼感は2019年から回復していないことを如実に示していた。

ワクチン接種率に見る政治不信

 香港政府は2021年初め、米ファイザー社によるmRNAワクチン(以下ファイザー)と中国のシノバック・バイオテックが開発した不活性ワクチン(以下シノバック)の導入を前後して決定。その後、シノバックには、国際的学術誌が義務付けている第3フェーズ臨床報告の提出を求めないまま購入し、また先に到着する予定だったファイザーよりも早く接種を始めるという計画を発表した。この政府の前のめりなシノバック「推し」に、メディアや市民の間から不安や疑問の声が上がり始める。

 致命的だったのが、そんな声を払拭(ふっしょく)しようと、林鄭月娥・行政長官ら政府トップや親中派議員らが次々と「自分はシノバックを打つ」と宣言したことだった。さらにわざわざ腕をあらわにして接種を受ける姿までメディアに公開してみせたことが「まるで中国政府に対する忠誠の証しのようだ」と市民に逆効果をもたらした。

 ここから「愛国者ならシノバック」「西洋医学を信じるならばファイザー」という声が上がり始めた。加えて香港には一定程度の伝統的ワクチン否定論者が存在し、さらに少なからぬ人が「政府が推すワクチン接種には応じない」と頑固に「政府非協力」を表明した。

 「政府への非協力」は、実際に政府が発表するワクチン接種統計(https://www.covidvaccine.gov.hk/zh-HK/dashboard)にも表れている。「1回以上接種済み」(以下、接種率はこの統計条件を引用)は、ほとんどの世代で接種率は80%から90%に達しているものの、よく見ると20代(3月16日発表政府統計で91.92%)及び30代(同94.93%)が12歳から19歳(同95.66%)よりも低い。2019年デモの主体が20代、30代だったこと、そして香港社会の現実ムードを合わせれば、この差はそのまま「非協力」表明だと見てよい。

 また、政府は死者の90%が未接種あるいは1回しか接種していなかった人たちであったことを明らかにしている。加えて老人ホームや障害者施設の入居者の4割が罹患(りかん)し、さらに死者の6割がこうした施設の入居者だったことも分かっている。

 高齢者のワクチン接種率は、今年3月中旬にやっと70代が70%に、80代以上が56%に達した(2月中旬では38%台だった)。高齢者への接種が進まなかった理由として、まず接種が心臓病など有既往症者に与える影響に対する不安という世界共通の要因に加え、香港では彼らの子どもたちの世代が「あえて勧めなかった」ことがある。また、政府が老人ホームなどの集団接種でシノバックワクチンを導入推奨したことも、若い世代を忌避させた。

 筆者も、実際に自身は接種を受けたが親には勧めなかった人が「中国政府への忠誠表現ばかり気にする政府が、本気で高齢者たちを守るつもりだとは思えない」とその理由を語り、政府への不信感が根底にあることを認めるのを聞いた。

 だが、3月に入ってメディアが、実は1月の時点で扶養者である子どもたちが接種に同意したにもかかわらず、接種を受けられずにいた老人たちがいたことをすっぱ抜いた。政府はその存在を知っており、実際に2月に労働福利局長が「老人3000人が接種を待っており、このままでは死者が出る」と警告を発していた。だが接種は遅々として進まなかった。政府は「人手不足が原因」と釈明した。

 「人手不足」の一方で、林鄭行政長官は自身のブースター接種もシノバックを打つと宣言。「専門家は混合にした方が効果が高いと言っていますが?」という質問に「抗体が多ければいいってわけじゃない」と言い、市民の失笑を買った。

政府の施策の混乱

 すでにコロナ感染で現場の混乱が伝えられつつあった今年1月、林鄭行政長官は「香港では『動態ゼロ化』政策を援用してきた」と突然発言。市民はそれまで聞いたことのないその言葉に困惑したが、メディアから説明を求められた林鄭氏が「これは中国で使われている言葉で、わたしが言い出しっぺじゃない。だからわたしにも説明つかないから尋ねないで」と答え、人々を二度びっくりさせた。

 「動態ゼロ化」は確かに中国大陸で進められている。迅速で全体の動きを止めず、局地的な封鎖と大量PCR検査を組み合わせたコロナ対策のことを指す。

 さらに林鄭氏はきっぱりと「中国に救援は求めない」とも述べた。しかし、2月に習近平国家主席が香港の感染事情に言及すると態度を変え、中国からやってきた専門家や医療担当者の出迎えに政府高官が出向き、また中国から送り込まれたチームが建設する、コロナ患者収容用の臨時医療施設の竣工(しゅんこう)式にも…

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ふるまいよしこ

フリーランスライター

香港14年、北京13年半の滞在を経て帰国。中国や香港の社会について日本メディアがあまり伝えない視点から紹介している。