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どうしてあなたは敵なのか ~恩師からの宿題 ジャック・ヒギンズから考える戦争のむなしさ~

篠田航一・ロンドン支局長
ハリル氏が履いていた靴は、泥だらけだった=シリア・ダマスカスで2017年12月17日、篠田航一撮影
ハリル氏が履いていた靴は、泥だらけだった=シリア・ダマスカスで2017年12月17日、篠田航一撮影

 今年3月、学生時代の恩師に「英国に赴任します」と伝えた。恩師からの返信メールにはこう書かれていた。

 「ジャック・ヒギンズを再読しなさい」

 恩師の専門は中東の現代政治。イスラエルや英国など海外滞在経験も豊富で、メールには英国での生活のヒント、行くべき場所、おすすめの食べ物、そして酒などありがたいアドバイスが並んでいた。だが最も熱心に勧められたのは、英国の作家ヒギンズを読むことだった。

 「鷲は舞い降りた」「死にゆく者への祈り」「脱出航路」など、学生時代に夢中になって読んだヒギンズの冒険小説の数々がよみがえる。ヒギンズは本名ヘンリー・パターソン。兵役を経験後、教師などを経て作家に転身し、今年4月9日、居住地の英領ジャージー島で92歳で死去した。くしくも私がロンドン支局着任後、初めて書いた記事はヒギンズの訃報になってしまった。

 どこかロマンチックで、登場人物の造形がうまく、セリフもいい。だが代表作「鷲は舞い降りた」(1975年)がベストセラーになった当時、話題になったのはその書き方だったと言われている。

 ヒギンズはこの作品で、英首相チャーチルの拉致を試みるナチス・ドイツの軍人をあえて主人公にした。戦後はもっぱら冷酷な悪役として描写されがちだったドイツの軍人を、ヒトラーの命令を受けて苦悩する生身の人間としてフェアに描いた点が評判になったのだ。

 国の指導者がどれほど冷酷であっても、戦場に送られる一人一人の兵士には絶対の善も悪もない。戦う者は決して理想に燃えているだけではなく、矛盾も感じている。時に自己嫌悪に陥りながら戦闘に従事する。圧倒的に面白い娯楽フィクションの筋書きの中で、そうした現実も忘れずに描かれていた。

忘れられない1人の兵士

 戦争の現実を考える時、私には忘れられない人がいる。中東を担当するカイロ特派員時代の2017年12月、内戦下のシリアに出張した時のことだ。首都ダマスカスで、私は1人の兵士に会った。

 名前はワリード・ハリル氏。私が取材した時はちょうど前線から戻ったばかりで、数時間前まで地下トンネルに潜り、爆発物の有無を調べていたという。靴が泥だらけだったのを覚えている。

 「怖くありません。任務ですから」。軍の上官が監視する中の取材だったので、弱気な言葉は口にしない。だが一瞬、ほおを緩ませたのは子供の話題になった時だ。「息子は4歳。かわいい盛りです。早く平和に暮らしたい。そうそう、クリスマスのプレゼントを買わなくては」。イスラム教徒が多いシリアでも、年末には街角にツリーが飾られていた。そして市民は内戦の苦しみを一瞬だけ忘れ、買い物を楽しんでいた。

 シリアでの取材を終え…

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ロンドン支局長

 1997年入社。甲府支局、東京社会部、ベルリン特派員、青森支局次長、カイロ特派員などを経て現職。著書に「ナチスの財宝」(講談社現代新書)、「ヒトラーとUFO~謎と都市伝説の国ドイツ」(平凡社新書)、「盗まれたエジプト文明~ナイル5000年の墓泥棒」(文春新書)。共著に「独仏『原発』二つの選択」(筑摩選書)。