本土が理解しない沖縄の不条理 米軍事故で失った兄

新垣邦男・衆院議員
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新垣邦男氏=須藤孝撮影
新垣邦男氏=須藤孝撮影

やられっぱなし

 復帰した1972年は私が高校に入学した年だ。中学生のころから復帰運動が盛り上がり、大人たちがデモをして「沖縄を返せ」と歌っていたことが印象に残っている。

 米軍の事件事故が毎日のようにあり、やられっぱなしだった。私が小学生の時に、那覇市でアルバイトでタクシー運転手をしていた長兄が米軍車両との交通事故で死去した。まともな補償もなかったと記憶している。当時はそれが当たり前だった。子供心に不条理だと感じていた。復帰をすればそんなことはなくなると思った。

 27年間ずっと虐げられていたという思い、屈辱は強かった。だから、復帰すれば「本土並み」になると思っていた。人権が守られるまともな国の一つの県に沖縄もやっとなれると思った。それが、当時の県民の共通の思いだった。

復帰とは何だったのか

 けれども復帰から50年たって振り返ると「復帰とはなんだったのか」と思う。いまだに在日米軍基地の70%が沖縄に集中している。米軍の事件事故も続いている。悪化した部分もある。オスプレイが配備され、外来機が増え、米軍ヘリなどからの部品落下も続く。不条理さはほとんど変わらない。

 私が村長を務めていた北中城村がある沖縄中部でみると、8市町村のうち6市町村に基地がある。基地があることが当たり前になっている。

 北中城村にもキャンプ瑞慶覧がある。また、村は米軍普天間飛行場(宜野湾市)から飛来する米軍機の飛行経路になっており、米軍機の騒音が非常に大きい。村民から抗議が来て、米軍に抗議に行くが、全く変わらない。聞いたふりをしているだけかと思うぐらい、変わらない。村民にとっては窓口は村しかないから「村はなにをやっているんだ。抗議をちゃんとしているのか」と言われる。

 キャンプ瑞慶覧の司令官は着任するとあいさつに来る。真面目な司令官は話を聞いてくれて「できることはやります」と言うが、あからさまに「我々は我々の立場がある」と言う高飛車な司令官もいる。しかし、どちらにせよ、何も改善されないことに変わりはない。

変わらぬ沖縄の不条理

 本土の政治家は日本の安全保障にとって沖縄は重要だと平気で言う。「台湾有事」と言ってあおる人たちがいる。…

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新垣邦男

衆院議員

 1956年生まれ。沖縄県北中城村長を経て、2021年衆院初当選。沖縄2区、当選1回。社民党。