「ロシア批判」というブーメラン

白井聡・京都精華大学国際文化学部准教授
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ウクライナのホストメリ空港で守りに就くウクライナ軍兵士=2022年5月5日、ロイター
ウクライナのホストメリ空港で守りに就くウクライナ軍兵士=2022年5月5日、ロイター

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから約2カ月が過ぎた。開戦当初はロシアの国内世論が反戦に傾くことで、プーチン大統領の行動が抑制されるのではないかという期待も語られたが、当面そうした展開が生じる気配はない。

 その原因として挙げられるのは、ロシアのメディア、とりわけすべてのテレビ局がロシア政府の厳しい統制下にあり、テレビが流しているのはプーチンのプロパガンダであり、人口の大半がこのプロパガンダを信じているうんぬん。早い話が、「テレビにだまされているロシア人は哀れ」というわけだ。

日本はどうか

 ロシアのテレビ局がプロパガンダ・マシンと化しているのは事実であろう。しかし、われわれ日本人にそれを嗤(わら)う資格などあるのか。2012年の第2次安倍政権以降、日本のテレビ局が呈してきた権力への屈服、伴走、媚態(びたい)の姿勢は、惨状的劣化を示している。

 その延長線上で、新型コロナ禍にあっては、大阪府が全国で最悪の死亡率をマークしてしまったにもかかわらず、吉村洋文知事がテレビに出ずっぱりだった(そして、大阪の高い死亡率のことについてはほとんど言及されない)おかげで日本維新の会への評価が高まり、同党が21年秋の総選挙では大勝利を収めるという珍事まで発生した。日本人がプロパガンダ漬けにされたロシア人を哀れむなど、まさに天に唾する行為にほかならない。

ソ連への先祖返り

 さて、それにしてもソ連崩壊以降のロシアがなぜこうした袋小路に入ってしまったのだろうか。その原因についてはさまざまな観測がなされているが、ともかくプーチンのロシアが、いくつかの面でソ連に似た国に先祖返りしてしまったのは確かであるように思われる。

 その最も重要な共通特徴は、鋭い批判や反抗的な勢力が出てくると、すぐにそれらを「秩序の敵」と見なす思考様式、そうした思考様式を統治の基礎とすることであり、そうした体制は通常「権威主義的体制」と呼ばれる。今次の紛争の最中にあって社会統制を強めるロシアは、個人を解放し、権力批判や異議申し立てを抑圧するのではなく許容することによって、それらを社会発展の力とするという発想を結局のところ育てることができなかったように見える。

 そうした体制の中心に鎮座するのは、治安・国防関係者たちである。プーチン大統領自身がソ連時代にはKGB(国家保安委員会、現FSB)の職員だったことはよく知られていようが、プーチンを支える側近たちの多くも治安・国防・情報機関の出身者であるといわれ、彼らは「シロビキ」と名づけられた。治安・国防機関は、国家の根幹中の根幹に位置するものであり、社会科学では「暴力装置」とも呼ばれる。

 なぜなら、国家の本質(言い換えれば、他の人間組織と根本的に異なる点)は、それが暴力をつかさどるものである点にあるからだ。したがって、警察や軍隊関係者の影響力が強い国家は、良く言えば原点に忠実な、悪く言えば原始的な国家であり、今日のロシアはその典型である。

 そしてこの点も、日本ではロシアの欠点として指摘されるものであるだろう。ロシアがソ連同様の警察国家となってしまったのは、その「狭量さ」のためである、と。シロビキ支配は、秩序を重んじるあまり、いささかでも秩序壊乱的であると彼らが感じる社会的動向に対して過剰反応し、強権的にそれを抑え込もうとする。

 そうした社会では、政治批判は封じられ、権威に従順な者が多数派となる。自己保身のためならば体制の求めに応じてうそや不正に積極的に加担する、そんな人格の持ち主が上位者の覚えめでたく栄達する。そのような社会的土壌、そこからの支持が得られることへの期待抜きに、今次のプーチンの戦争への決断はあり得なかっただろう。

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白井聡

京都精華大学国際文化学部准教授

 1977年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒、一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。専攻は政治学・社会思想。著書に「永続敗戦論――戦後日本の核心」(太田出版)、「未完のレーニン――<力>の思想を読む 」(講談社選書メチエ)、「『物質』の蜂起をめざして――レーニン、<力>の思想」(作品社)、「国体論――菊と星条旗」(集英社新書)、『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)、「主権者のいない国」(講談社)など。