「復帰っ子」と言われて 沖縄の戦後は終わっていない

國場幸之助・衆院議員
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國場幸之助氏=須藤孝撮影
國場幸之助氏=須藤孝撮影

 私は1973年1月生まれだ。早生まれだが、沖縄ではこの学年は「復帰っ子」と言われる。私も選挙に出るときに名刺に書いた。私だけではなく、沖縄ではこの学年にはそう書く人が多い。

 私たちには日本国憲法を適用された第1期生という誇りがある。「復帰っ子が小学生になった」「成人になった」と節目ごとに報道され、沖縄の社会からも期待され、注目されて、この日まで人生を重ねてきた。私自身も27歳で県議会議員になって「復帰っ子初の県議」と言われ、39歳で国会議員になって「復帰っ子初の国会議員」と言われた。

 私たちより上の世代はどうしても本土に複雑な感情がある。一方で私たちには、生まれた時から同じ日本国じゃないか、という思いがある。

 沖縄には、格差を縮める象徴として「甲子園で優勝するのが先か、大臣が出るのが先か」という言葉があった。けれども私たちが高校生のころから、沖縄県勢は非常に強くなったし(90、91年に夏の大会で準優勝、99年に選抜で優勝)、2000年の九州・沖縄サミット首脳会議の成功も自信になった。上の世代とは少し違う、自分たちの足で立って歩いていこうという気概がある世代だ。

東京と沖縄で同時開催を実現

 復帰の記念式典は、復帰した年は政府主催の式典が東京と沖縄でそれぞれ開催されたが、10周年、20周年は政府主催の式典は東京で開かれ、沖縄では県主催だった。25周年は政府主催の式典が沖縄で開かれ、30周年、40周年は政府と県の共催で沖縄で開催した。

 今回はどうしても東京と沖縄の同時開催にしたいと思い、各方面に働きかけた。オンラインで二つの会場を一つにして開かれる。また、復帰25年の97年以来、25年ぶりの国会決議の提案者になり、多くの関係者の理解を得て実現(4月28日、衆院本会議)できた。

 50年たつと沖縄の復帰の歴史を知らない国民も増えている。なんとしても、沖縄の歴史と可能性をあらためて知ってほしかった。式典と決議で、沖縄が発展することが日本の国を本当に強くすることにつながると伝えたい。

ひずみは沖縄に

 よく日本の戦後復興は、経済優先、軽武装の「吉田ドクトリン」だと言われる。けれども光と影がある。ひずみの多くは、沖縄に来ている。サンフランシスコ講和条約の後、多くの米軍基地が沖縄に移ってきた。「軽武装」は沖縄の米軍基地が前提だった。米国で公開された公文書からも、米軍が沖縄を「自由に使える」と思い、返還したくないと思っていたことがわかる。復帰後にそのひずみが解決されたか。もちろん日本政府も努力はしているが、まだ道半ばだ。

 沖縄の基地の問題は、米軍の専用施設が多いということだ。「銃剣とブルドーザー」で先祖伝来の民間の土地を奪われている。一方で、本土の場合は旧日本軍の基地だったところに米軍が入ってきた例も多く、自衛隊との共同運用も多い。また沖縄には若い兵士が多く、訓練も激しい海兵隊がほとんどで、事件事故も多くなる。住民の負担感は本土と沖縄では意味が異なるということも、正確に理解してもらいたい。

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國場幸之助

衆院議員

1973年生まれ。沖縄県議を経て2012年衆院初当選。自民党副幹事長、外務政務官などを歴任。自民党総裁特別補佐。比例九州、当選4回。自民党岸田派。