欧州深層

エリートで固めた左派の末路 仏社会党の転落

宮川裕章・欧州総局長
  • 文字
  • 印刷
ジョレスが暗殺されたパリのカフェ「クロワッサン」=2022年4月25日、宮川裕章撮影
ジョレスが暗殺されたパリのカフェ「クロワッサン」=2022年4月25日、宮川裕章撮影

 店内には一人の客もいなかった。フランス大統領選決選投票翌日の4月25日の夕方、パリ2区のカフェ「クロワッサン」を訪れた。

 床には「1914年7月31日」と記されたタイルが埋め込まれている。欧州で1000万人とも言われる死者を出した第一次世界大戦の直前、最後まで反戦平和を訴えたフランス社会党の創始者の一人、ジャン・ジョレスが、国家主義者の凶弾に倒れた場所だ。今は知る人ぞ知る社会党の聖地となっている。

存続の危機

 ジョレスは雄弁な政治家で、哲学者、ジャーナリストとしての顔も持った。1905年には分裂していた左派をまとめ、今の社会党の源流となるSFIO(統一社会党)を設立。労働者の地位向上に尽力した。政府が開戦に傾く中、ジャーナリストとして反戦の論陣を張った。その死は国民から惜しまれ、今もフランス中の学校、通りにジョレスの名前が冠される。

 カウンター席に座り、エスプレッソを注文した。「新型コロナウイルス禍でもともと客は減っていましたけど、社会党の人気が落ちたことも関係あるかもしれませんね」。そう店員は言う。

 大統領選の社会党候補、アンヌ・イダルゴ氏は4月10日の第1回投票で、得票率1・7%の10位に沈み、上位2候補による24日の決選投票に、その姿はなかった。ジョレスが育てた仏社会党は今、存続の危機に瀕(ひん)している。

10年前の勝利

 10年前、2012年の大統領選。社会党のフランソワ・オランド氏は右派の現職、ニコラ・サルコジ氏を破り、ミッテラン氏以来、17年ぶりに政権を奪還した。サルコジ氏は新自由主義的経済政策を推進したが、結果を残せず、「右派がだめなら左派」の社会的空気があった。オランド氏は雇用拡大や富裕層への課税強化など、弱者に寄り添う政策をアピールした。

 パリ特派員だった私は選挙期間中、社会党選対本部に足を運び、まだ何者でもない党幹部らの会合を取材した。ラフな服装の若者たちが、一夜にして国家運営を担う要職につく姿に、政権交代のダイナミズムを感じた。社会党は、その後の下院選でも圧勝。絶頂の中にあった。

 だが、ほころびはすぐに表れ始めた。看板政策だった最高税率75%の所得税は著名人の大反発などで修正に追い込まれ、失業者数も就任時より増えた。企業競争力の強化を狙った法人税減税は「変節」と批判された。

 「現実の政権運営能力と理想の両立。それこそがジョレスが目指したものだった。だがこの両立に社会党はいつも苦しんできた」。仏社会党の歴史に詳しいパリ政治学院のジャンフランソワ・シャネ教授(歴史学)は語る。結局、オランド政権は経済政策では中道路線に転換し、失業率などが改善しない中、支持率は低下の一途をたどっていく。

エリートで固めた陣容

 オランド氏は16年末、翌年の再選に向けた出馬を断念。オランド政権で閣僚を務めたマクロン氏が「右でも左でもない」と訴えて、政権を奪取した。そして富裕層優遇と批判されるマクロン氏に対し、低所得者層の支持を広げたのは、穏健化を進めたマリーヌ・ルペン氏率いる極右政党と、社会党からたもとを分かったジャンリュック・メランション氏の急進左派政党だった。それから5年間で社会党の衰退は加速し、その結果が、得票率1・7%に表出した。

この記事は有料記事です。

残り1036文字(全文2374文字)

宮川裕章

欧州総局長

1997年入社。さいたま支局、東京本社社会部、外信部、パリ特派員、経済部、外信部デスクを経て2022年4月から欧州総局長。著書に『フランス現代史 隠された記憶』(ちくま新書)、共著に『独仏「原発」二つの選択』(筑摩選書)、『世界少子化考 子供が増えれば幸せなのか』(毎日新聞出版)など。